《鶯が鳴くわけ》

題しらす よみ人しらす

うくひすのなくのへことにきてみれはうつろふはなにかせそふきける (105)

鶯の鳴く野辺ごとに来てみればうつろふ花に風ぞ吹きける

「鶯が鳴く野辺ごとに来てみると、どの野辺でも散る花に風が吹いていることだなあ。」

鶯の鳴く春である。その声に誘われて、野辺に来てみる。すると、どの野辺でも散る花に風が吹いているのだ。そこで知る。鶯が鳴いていたのは、散る花が悲しくて泣いていたのだと。そして、今の私の思いを代弁するかのようだと。
この歌の工夫は、原因結果の関係を反転しているところにある。本来の順は、風が吹く、花が散る、鶯が鳴くである。しかし、それは物事の因果関係であって、思いは別にある。それを意識した順に組み立て直したのである。

コメント

  1. すいわ より:

    鶯の鳴き声に誘われてそぞろ歩く。行く先々で風に舞い散る桜の様を見るにつけ、あぁ、そうか、行く春が悲しかったのだ、なるほど鶯も泣いていると思い至る。鶯を目印に、ここにもいない、ここにもいないとまるで迷子のように尋ね歩くけれど、風は春を連れ去ってしまうのですね。

    • 山川 信一 より:

      確かに鶯は声は聞けども、姿は見せない鳥ですね。声に誘われて来てみたら、風が花を散らしているだけで、鶯の姿は見えない、がっかりしてしまったとも読めますね。
      ただ、この歌の主役はやはり散る桜の花です。来てみたら、鶯の鳴いているわけがわかった、風が桜を散らすからだと解すべきでしょう。

      • すいわ より:

        言葉が足りませんでした。「鶯(の声)を目印に、ここにもいない、ここにもいないとまるで迷子のように(桜を)訪ね歩くけれど、風が春(桜)を連れ去ってしまうところを見るばかりだった、なるほど鶯が泣く訳だ、風が桜を散らしてしまうのだもの、、ですね。
        「原因結果の反転」で、なるほど最後にしっかり桜を印象付けています。

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