《桜の香り》

寛平御時きさいの宮のうたあはせのうた ありはらのもとかた

かすみたつはるのやまへはとほけれとふきくるかせははなのかそする (103)

霞立つ春の山辺は遠けれど吹き来る風は花の香ぞする

「霞が立つ春の山の辺りは遠いけれど、そこから吹いてくる風は確かに花の香りがすることだ。」

102番の歌と対になっている。春霞を題材に、102番の歌が視覚をテーマにするのに対して、この歌は嗅覚をテーマにしている。現代のソメイヨシノは香りがほとんど無いけれど、当時の桜は、梅ほどではないにせよ、香りがあったのだろう。桜はバラ科の植物であるのだから。とは言え、遠い山から風が香りを運んでくるとは考えにくい。春霞が立って桜の色さえ見えない。そこで何か桜を感じるものは無いかと思う。すると、風に桜の香りが感じられる気がすると言うのだ。これも、102番の歌と同様、願望が生んだ幻想なのかもしれない。しかし、作者は確かにその香りを感じたと言う。その感覚を「どうだ!」と言わんばかりに誇示している。「香ぞする」という係り結びがそれを伝える。これも歌合の歌だからだろう。
いずれにせよ、この歌を読んだ後では、春霞が立つ山の風には、かすかな桜の香りを感じないわけにはいかなくなるだろう。それが歌の力である。

コメント

  1. すいわ より:

    102番の歌にたたみかけるように詠まれた歌。霞に視界を遮られ、それでも桜の気配を求めて山からの風に大きく息をして香りを手繰り寄せ、胸いっぱいに春を満喫する。形無いものの価値を皆が共有できる幸福感をこの歌に感じられます。今、こんな贅沢はなかなか見つかりませんね。

    • 山川 信一 より:

      「形無いものの価値を皆が共有できる幸福観」は、確かに現代に欠けていますね。マルクスならそれも「富」と言ったでしょう。現代では「富」が次々に商品化されます。そして、商品化できない「富」は価値を失い、忘れ去られていきます。けれども、この歌は、それを思い出させてくれます。それが歌の力です。

  2. らん より:

    香ぞする
    歌ってすごいです。ほんとに香を感じそうな気がしました。
    春が待ち遠しいです。風が運んでくれる桜の香りを嗅ぎたくなりました。

    • 山川 信一 より:

      これから長い冬が始まります。そう思うと、もう春が恋しいですね。現代の桜はほとんど香りがしませんが、この歌を知ると、香りがあるように思えてきますね。

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