《帰らぬ過去》

題しらす  よみ人しらす

はなのことよのつねならはすくしてしむかしはまたもかへりきなまし (98)

花のごと世の常ならば過ぐしてし昔は又も帰り来なまし

まし:反実仮想の助動詞。未然形接続。「な」は完了の助動詞「ぬ」の未然形。「もし・・・ならば、・・・だろう」

「毎年変わらずに咲く桜の花のように世の中が常住不変であるならば、過ごしてしまった昔は再び帰って来るだろう。」

97番の歌と同様の春の愁いである。冬が終わり春を迎え、すべてが蘇り、桜は満開になる。これが毎年繰り返される。春は、命溢れる喜びの季節である。だからこそ、春には人生との違いを強く感じてしまうのだ。人生もこれと同じであったら、過ぎ去ってしまった幸せな過去も帰って来るだろうと。決して叶わぬことわかっていても、そう願わずにはいられないのが人の常だ。97番の歌との違いは、思いが未来ではなく過去に向かっていることである。

コメント

  1. すいわ より:

    栄華を極めたことのある人なのでしょうか、上り詰めてあとは下り坂が待っている、、昔を懐かしむのは悪いことではないけれど、良かったことだけに縋って今を生きられないのは寂しい気もします。桜と人を対比して詠まれた歌でも、趣がこんなにも違うのですね。

    • 山川 信一 より:

      「過ぐしてし昔」とはどんな昔なのでしょうね。「栄華」もあれば、若かりし頃の自分も、恋人との思い出もあります。
      思い出は過去を美化します。春は、それも花の盛りは、人を思い出に誘うこともあります。
      桜一つを題材にしてもなんと様々な歌が作れることでしょう。『古今和歌集』は歌の手半を示してもいるようです。

タイトルとURLをコピーしました