《風への文句》

さくらのちるをよめる  凡河内みつね

ゆきとのみふるたにあるをさくらはないかにちれとかかせのふくらむ (86)

雪とのみ降るだにあるを桜花いかに散れとか風の吹くらむ

だにある:・・・さえだ。だけでも・・・だ。

「桜が散るのを詠んだ 凡河内躬恒
まるで雪だとばかりに降り散ることさえ惜しくあるのに、桜花は。桜花はどう散れと思って風が吹いているのだろう。」

「桜花」が前後に働いている。前では、倒置として「惜しくある」に掛かる。後では、そのまま「散れ」に掛かる。
せめて風さえ無ければそんなに散らずにいてくれるだろう。それなのに、風が吹いて桜の花を雪とばかりに散らせている。風は一体何を思っているのか、その心が測りかねる。
雪と見間違うばかりに次から次へと桜が散る様子が目に浮かんでくる。ただし、それを惜しむ思いは直接表していない。風に文句を言うことで、間接的に表している。

コメント

  1. すいわ より:

    しんしんと降り積もる雪のように静かに散り敷いて行くことすら口惜しいのに、風の憎いこと、ただ咲き散るに任せるでなく、花びらを吹き散らし舞い上げ、そこかしこに散り乱す。桜を眺める我らの心までも乱れ、落ち着かなくなるではないか、、桜は悪くない。吹き過ぎて行ってしまう風になら文句を付けても後腐れも無いですし。

    • 山川 信一 より:

      「雪のように静かに散り敷いて行く」「花びらを吹き散らし舞い上げ」のイメージはありませんでした。
      「いかに散れとか」の「いかに」をこのように読まれたのですね。なるほど。

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