《人を桜のたとえに使う》

うりむゐんにてさくらの花をよめる そうく法し

いささくらわれもちりなむひとさかりありなはひとにうきめみえなむ (77)

いざ桜我も散りなむひと盛りありなば人に憂き目見えなむ

なむ:「な」は完了の助動詞「ぬ」の未然形。「む」は未確定の助動詞。「散りなむ」の「む」は意志。「見えなむ」の「む」は未来。

「さあ桜よ。私も散ってしまおう。もし盛んな時期が一度でもあったなら、その後は人に嫌なさまを見せてしまうだろうから。」

桜が散るのが嫌に思えるのは、満開という盛りがあるからだ。あれ程見事に咲いていた桜が思いがけないくらい短い間に散ってしまう。その落差が失望を大きくする。これなら、いっそのこと盛りなど無い方がいいのではないか。そんな気持ちになってくる。
作者はその気持ちに共感して貰うために人の盛衰をたとえに使う。こちらなら一般的で誰もに納得して貰えるだろうから。つまり、この歌は、桜をたとえに使っているのではなく、人をたとえに使っている。主題はあくまで桜の花である。
ただし、前の歌とつなげると、素性法師への慰めにも取れる。

コメント

  1. すいわ より:

    頂点を極めたら、あとは下るばかり、惨めな姿を晒すならばいっそぱぁっと散らしてしまおう(桜の花びらと共に憂さも一緒に空へ放ってしまえ)、、さばさばと潔く、執着から解き放たれて、ただ桜吹雪の中に立っている、そんな気持ちになります。
    詞書の大切さがわかります。「前の歌とつなげると、素性法師への慰めにも取れる」、共感できます。
    「雲林院(うんりんいん)」と読んでおりました。「うりんいん」なのですね。

    • 山川 信一 より:

      「雲林院」の読みなのですが、何とも言えません。「ん」の無表記であるかもしれないからです。でも、いつもこう書かれると「うりんいん」とも呼ばれるようになりますよね。
      表記と発音とは違います。元々は「うんりんいん」であったはずです。だから、これで間違っていません。

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