《逆説的表現》

題しらす よみ人しらす

のこりなくちるそめてたきさくらはなありてよのなかはてのうけれは (71)

残りなく散るぞめでたき桜花ありて世中果ての憂ければ

「残り無くすっかり散ってしまうのが素晴らしいのだ、桜の花は。有り続けて、世の中はその果てがつらいから。」

「めでたき」は「ぞ」の結びである。桜花はこの文の主語で倒置になっている。下の句はそう言う理由になっている。すなわち、一枚残らず散ってしまうことは残念なことだ、しかし、物事には必ず反面があると、そのよさを見出すことで慰めているのである。
つまり、世に有り続けて何かいいことがあるのか、つらいこと、憂鬱なこと、嫌なことばかりでは無いか、潔くすっかり散ってしまえばそれを味わわずに済む、その方ずっと素晴らしいのだと。
この歌は『伊勢物語』八二段の次の歌と趣が似ている。
「散らばこそいとど桜はめでたけれ憂き世に何か久しかるべき」
いずれにしても、こんな大層な理屈を持ち出さなければならないほど、桜が散るのは惜しいのだ。逆説的にその思い強さを表している。

コメント

  1. すいわ より:

    綺麗さっぱり執着なくとの言葉の裏の本心はそれとは正反対の手放し難い思いで溢れているのですね。今が報われていない人の歌、こんなつまらぬ世にあり続けたところで美しいお前が報われない、と。茶番劇に付き合う必要などない、あなたに相応しい場にお移り下さい、と。伊勢物語が思い浮かんでしまいます。桜吹雪の影に貴い方の姿も見えそうです。

    • 山川 信一 より:

      この歌は、『伊勢物語』の中では「世の中にたえてさくらのなかりせば春の心はのどけからまし」に答えた歌でしたね。
      『古今和歌集』と『伊勢物語』が二重写しのように思えてきます。

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