《春霞に見紛うばかりの美しさ》

をれるさくらをよめる  つらゆき

たれしかもとめてをりつるはるかすみたちかくすらむやまのさくらを (58)

誰しかもとめて折つる春霞立ち隠すらむ山の桜を

誰しかもとめて:「じ」は、強意の副助詞。「かも」は、係助詞で疑問。係り結びになっていて、結びは完了の助動詞「つ」の連体形の「つる」。「とめ」は、動詞。終止形は「とむ」は、歌語で「たずねもとめる」の意。

「折った桜を詠んだ  紀貫之
 誰が探し求めて折ったのか、春霞を。いや、春霞が隠しているはずの山の桜を。」

「はるがすみ」が上下に働いている。上からは、「とめて」の目的語になり、下へは、主語として「かくすらむ」に掛かる。まず、それを春霞と捉える。なんと誰かが春霞を折ってきたのだと驚いてみせる。次に、実は、それが春霞に見紛うばかりの山桜であることを明らかにする。こうして、その美しさを褒め称えているのである。

コメント

  1. すいわ より:

    「とめ」は「たずねもとめる」なのですね。定かな形を持たない霞を桜の枝になぞらえて自らの手に「折り留める」なのかと思いました。
    手折った山桜のひと枝、この小さな春が、霞に例える事で桜の咲く山全体の風景へと一気に視界が広がります。てのひらの中に再現される春、見事です。

    • 山川 信一 より:

      なるほど、「をりとむ」なら、そうも考えられますね。しかし、ここは「「とめてをりつる」です。動作の順序が決め手になります。
      折り取った桜の枝は、甕に生けられたのでしょう。その部屋に霞が立ちこめたような美しさだったのでしょう。

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