《手が届かない急流の桜》

題しらす  よみ人しらす

いしはしるたきなくもかなさくらはなたをりてもこむみぬひとのため (54)

石走る瀧無くもがな桜花手折りても来む見ぬ人のため

いしばしる:水が岩の上を激しく流れる。
たき:急流。早瀬。
もがな:・・・であったらなあ。・・・があったらなあ。願望の終助詞。

「岩の上を激しく流れる早瀬が無かったらなあ。もし無かったら、桜の花を折っても来くるだろう、この桜を見ない人のために。」

作者は、春の山をそぞろ歩きしていたのだろうか。山中の急流の向こうに見事な桜が咲いているの発見する。そのあまりの美しさに、ここにいないあの人に折って見せてあげたいと思う。しかし、流れが激しく、それはできない。激しい早瀬が無かったらなあと思う。一方、この桜は、岩走る早瀬の向こうに咲いているあるからこそ美しいのだとも思う。それでも、自分一人で独占するにはもったいない。その残念な思いを詠む。

コメント

  1. すいわ より:

    手折ってでも持ち帰り見せてあげたい桜、見事な咲きぶりなのでしょう。手が届かないからこそ、その気持ちは高まる。「手折り持て来む」かと思ったのですが、「手折りても来む」の方がより見せるために持ち帰る意志が強調されるのでしょうか。その見事な咲きぶりは、たったひと枝を見せたところで伝わらない。それでもひと枝でも持ち帰りたい。それすら叶わない。もどかしさが伝わってきます。

    • 山川 信一 より:

      私は、「残念な思い」と書きましたが、「もどかしさ」の方が適切ですね。
      「手折り持て来む」より「手折りても来む」の方が「手折る」という動作が強調されます。そうしたかったのでしょう。
      また、動詞があまり重なるとうるさい感じがします。和歌(短歌)や俳句などは、動詞を減らせと言います。

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