《咲き初めからの心配》

人の家にうゑたりけるさくらの花さきはしめたりけるを見てよめる  つらゆき

ことしよりはるしりそむるさくらはなちるといふことはならはさらなむ (49)

今年より春知り初むる桜花散るといふ事は習はざらなむ

なむ:・・・してほしい。願望の終助詞。未然形に接続する。

「人の家に植えていた桜の花が咲き始めていたのを見て詠んだ  紀貫之
今年より春を知り始めている桜の花よ、散るということは習わないでほしい。」

桜は、梅と同様、いやそれ以上に春を代表する花である。その特徴が何かと言えば、梅に比べて花期が短いことにある。したがって、思いはそこに集中する。桜の花が咲くとは、春を知ることである。今年から咲き始めた桜でさえも、散ることを心配せずにはいられないと言うのだ。
この歌は、桜を擬人化している。髪上げをした少女に対して、悪い男に欺されないでほしい、悪い遊びを覚えないでほしい、いつまでも汚れのない美しさを保っていてほしいと思う親心がある。それを踏まえて、桜に散らずにいつまでもその美しさを保ってほしいと願いを表している。

コメント

  1. すいわ より:

    若木が漸く花付けるまでに成長し迎えた春。この春は私が咲くためにやって来たとばかりに見事に咲いたのでしょうね。苗木の植えられた時から来春は咲くかと心待ちにして、いよいよ咲いた桜。でも、よその桜なのですよね。自分が手を掛けてやる事は出来ないもどかしさ。やっと咲くことを覚えた桜、どうかこのまま、美しいまま、傷つく事なく咲き続けて欲しい、よもや咲き散ることなど知ってくれるな、誰からも散り方など習ってくれるな(自分にはどうすることも出来ないのだけれど)、と。桜という春のかけらを愛おしみ慈しむ気持ちが伝わってきます。

    • 山川 信一 より:

      桜を愛おしむ気持ちは、そのまま春を愛おしむ気持ちに重なります。桜が散れば春が終わってしまう。そんな気にもなります。
      ならば、桜は春そのもの。「春のかけら」ではないのかも知れません。
      また、この人の家には、年頃の娘さんがいたのでしょう。ならば、擬人法が一層効果的です。

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