第三十六段  気配りのできる女

 久しくおとづれぬ比、いかばかりうらむらんと、我が怠り思ひ知られて、言葉なき心地するに、女のかたより、仕丁やある、ひとり、など言ひおこせたるこそ、ありがたくうれしけれ、さる心ざましたる人ぞよきと、人の申し侍りし、さもあるべき事なり。

仕丁:(じちょう)貴族などの召し使う下部。雑役に使われた下男。

「長らくそこを訪れない頃、どれほど恨んでいるだろうと、自らの怠りが思い知られて、言い訳の言葉が無い気持ちがする時に、女の方から、『あなたのところに手の余っている下男はあるか、一人寄こしてほしい。』などと言ってよこしていることこそ、ありがたく嬉しいのだが、そういう気立ての女こそがいいものだ。」と、人が申しましたことは、いかにももっともなことである。」

男の都合ではあるが、確かにこういう気配りのできる女はありがたい。男はメンツにこだわる動物である。きっかけを失うと、なかなかこちらからは働きかけることができない。自分の非を認められないのだ。気配りのできる女は、その気持ちを汲んで、動くきっかけを与えてくれる。一枚上手である。いい女とはこうしたことのできる女だ。男女関係は、女が大人になる方が上手く行く。なるほど、言い得ている。
ただ、兼好はそれを人の話として語り、それに同意する形で書く。つまり、自らの経験としては語らない。女との関わりを示すことで自分のキャラクターを壊したくないからか、その方が読者に受け入れて貰いやすいと考えたからか。いずれにせよ、いかにも兼好らしい書きぶりである。

コメント

  1. すいわ より:

    人がそう言っていた、それも「人の申し侍りし」、位の上の人が言っていた体でそれに同意、有無を言わせない。先生の仰る通り、兼好らしい書き口ですね。
    長の暇をなじるでなく頼ってみせる。頼られる自分に自信を持つことが出来る。気分良く、機嫌良く頑張って貰えれば双方文句なしの良い事尽くし。ほんの一歩、半歩下がるだけの事、そのゆとりを持ちたいものです。
    仕丁(じちょう)、お雛様の一番下の段にいる人達、ずっと「しちょう」と読むのだと思ってました。勉強になりました。

    • 山川 信一 より:

      「人の申し侍りし」ですが、「申し」は謙譲語です。つまり、兼好に言った人は、兼好より同等かそれ以下の人になります。友人が気楽に本音を語ったという所でしょうか。
      「ありがたく嬉しけれ」の後に「なかなかそういう人はいないので」の思いが入っていそうですね。

タイトルとURLをコピーしました