第三十三段  故事へのこだわり

 今の内裏作り出だされて、有職の人々に見せられけるに、いづくも難なしとて、すでに遷幸の日ちかくなりけるに、玄輝門院御覧じて、「閑院殿の櫛形の穴は、まろく、ふちもなくてぞありし」と仰せられける、いみじかりけり。これは葉の入りて、木にてふちをしたりければ、あやまりにてなほされにけり。

作り出だされて:主語は天皇。「れ」は尊敬の助動詞。兼好は、古典文法に則って書いている。しかし、こういう用法から、無生物主語による受身の用法が生まれる。
有職:(いうそく)故実に詳しいこと。
遷幸:(せんかう)天皇が居所を他の場所に移すこと。
玄輝門院:(げんきもんいん)伏見天皇の継母。八十四歳で亡くなった。
閑院殿:高倉天皇から後深草天皇まで続いた仮の御所。
櫛形の穴:清涼殿の鬼の間の高窓。そこから、殿上の間を覗けた。
葉の入りて:(えふ)木の葉の先のように尖っていることを言う。

「現在の内裏をお造り上げになって、有職の人にお見せになったところ、どこにも難点は無いということで、もはや天皇がお移りになる日が近くなった時に、玄輝門院がご覧になって、閑院殿の櫛形の穴は丸く、縁も無かった。」とおっしゃったのは、素晴らしかった。新内裏は、尖っていて木で縁がしてあったので、誤りであって、お直しになってしまった。」

天皇家は、有職故事へのこだわりが強いことがわかる。庶民の感覚からすれば、高窓の穴の形など、極めて些細なことである。それにこだわるのだから、他は推して知るべしである。もっとも、現代でも、天皇家が格式にこだわるのは変わらない。権威を保つために必要なのだろう。
問題は、それをどう見るかである。兼好がそれを素晴らしいことだと絶賛している。このことから、兼好の考え方がわかる。古き世は正しくそれに従うべきだと考えているのだ。
また、この話を取り上げることから、兼好の自己顕示欲も伝わってくる。自分はこんなことまで知っているのだと言いたいのだろう。

コメント

  1. すいわ  より:

    ブレない態度ですね。古来から続く形式美なり、守り続ける大切さもわかりますが、そこに固執する事で見えなくなるものの中にも良いものはあるはずだと思うのです。柔軟性って必要。その頑なさが兼好を絶対の権威主義に傾けているのでしょう。安心、安全。自信がないのですね。

    • 山川 信一 より:

      兼好のこの権威主義は、今に通じるところがありますね。何かとこういう些細なことにこだわる人がいますよね。そのことで、自分がひとかどの人物であることを示そうとします。
      そういう人にとって、『徒然草』はありがたいでしょうね。立派なお手本がここにあるのですから。
      一方、こんな見方もできます。兼好は、権威主義の馬鹿馬鹿しさ・愚かしさを示そうとしてわざとこの話を書いた。これを読んで「くだらないこだわりだ」と思う人もいるはずです。
      兼好ほどの人の心理を見抜ける人なら、それも予想できるはずです。実は、皮肉として書いていたとか。さて、どうなのでしょうか?

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