《梅の香の強さ》

題しらす  よみ人しらす

やとちかくうめのはなうゑしあちきなくまつひとのかにあやまたれけり (34)

宿近く梅の花植ゑじあちきなく待つ人の香に過たれけり

過たれける:「れ」は自発の助動詞。

「屋敷の傍に梅の花を植えまい。無益にも、待つ人の香だと勘違いしたことだなあ。」

屋敷の傍に梅の花を植えたことは失敗だった。なぜなら、待っている人が来たと無益にも勘違いしてしまったからだ。その人は梅の香を焚きしめているのだった。
いかにに貴族にとって香が身近なものだあったかがわかる。本物よりも香が関心の主体なのだ。歌の主題は、恋人が来てくれない失望感を表しているように思える。しかし、そうだろうか。そうではない。やはり主役は、こんな錯覚を起こさせる梅の香の強さにある。「待つ人」は、それを言うための脇役である。

コメント

  1. すいわ より:

    「(梅の香を焚きしめた)待ち人が来たかと勘違いしてしまった、虚しい事。だから梅を屋敷の傍には植えない」、、なんだか変な感じに思えたのですが、植えないと宣言する事で現にそこにある梅の存在感が増しています。香ありき、でドラマが展開するのですね。

    • 山川 信一 より:

      すべてが梅の香の存在感を言うための小道具になっています。歌の表現は、感動をどう伝えるかの小道具と言えます。
      そこに目を奪われて、感動がどこにあるのかを見失ってはなりません。正岡子規にはそれがわかっていませんでした。

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