第二十七段  人の本性が現れる折

 御国譲の節会おこなはれて、剣・璽・内侍所わたし奉らるるほどこそ、限りなう心ぼそけれ、新院のおりさせ給ひての春、詠ませ給ひけるとかや、
 殿守のとものみやつこよそにしてはらはぬ庭に花ぞ散りしく
今の世のことしげきにまぎれて、院には参る人もなきぞさびしげなる。かかる所にぞ、人の心もあらはれぬべき。

御国譲の節会:(みくにゆずりのせちえ)天皇が皇太子に位を譲る儀式。
剣・璽・内侍所:剣と玉と鏡。三種の神器。皇位継承のしるしとして受け継ぐ。
おこなはれて・奉らるる:「れ」と「るる」は、いずれも尊敬の助動詞。主語は天皇。
新院:新しく上皇になられる方。ここでは、花園上皇。1318年、後醍醐天皇に譲位した。
とかや:ということだ。
おりさせ給ひて・詠ませ給ひける:「させ」「せ」は共に尊敬の助動詞。
殿守のとものみやつこ:下級役人。庭の掃除などをする。

「御譲位の儀式をなさって、三種の神器をお渡し申し上げなさる時こそ、限りなく心細いが、新院が退位なさっての春、お詠みになられたかという、
 殿守の役人がよそ事として掃除をしない庭に花が一面に散り敷いている
新帝の用事が多いのに紛れて、上皇の御所には参る人もないのがいかにも寂しいようすだ。このようなところにこそ、人の本性もきっと現れるに違いない。」

人の世の移り変わりの例として、譲位を取り上げる。新院が忘れ去られていく寂しさに注目する。新院の御所の庭が掃除されないという具体例を挙げる。これにより人が過去のものには目を向けない傾向があることを指摘する。目の付け所が鋭い。ただし、それを「人の心もあらはれぬべき」とぼかすことで(批判はそこにあるのだろうが)、利己的打算的な心には限定していない。これで十分皮肉になっているからである。「人の心」には、誠実な心もあることをほのめかすことで、読み手の余計な反発を避ける配慮はさすがである。

コメント

  1. すいわ より:

    なるほど、この書き方だと読む人がどっちの側の人間か、自分で決められるわけですね。というより、決めさせるのですね。周到な文章、参りました。

    • 山川 信一 より:

      兼好法師の文章は、自分が決して表に立たず、主張をはっきり言いません。周到に反発対立を交わし、判断はすべて読者に任せます。
      まさに、日本的な理想の文章です。だから、多くの評論家が絶賛するのでしょう。

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