《春雨に濡れる野辺の緑》

歌たてまつれとおほせられし時によみてたてまつれる  つらゆき

わかせこかころもはるさめふることにのへのみとりそいろまさりける (25)

我が背子が衣はる雨降る毎に野辺の緑ぞ色勝りける

「私の親しい方の衣を張る、そんな春、雨が降る毎に野原の緑がひとしお濃くなってきたことだなあ。」

「わかせこかころも」は「張る」を導く序詞。そして、「張る」は「春」に転じる。
「わがせこ」は、男性を親しんで呼ぶ言い方。男同士でも使う。「歌たてまつれとおほせられし」方に対して「我が背子」と呼びかける。「せこがころも」の「が」は、連体格「の」の意。実際に張るのは、女性だろう。
第五句が前の歌(24)と同じ「いろまさり」を用いている。ただし、この歌は「ぞ」を用いて、係り結びにしている。また、前の歌は、そのわけを漠然と「春来れば」と言うだけだったが、この歌では、具体的に春雨に限定している。しかも、序詞で衣を張るという行為を示すことによって、春の季節感を一層鮮明にしている。
前の歌の言葉や趣を踏まえつつ、表現も内容も深化させている。さすが貫之と言うべきである。

コメント

  1. すいわ より:

    春を迎える為に季節の着物の手入れをするのですね。洗い張りして仕立て直し、こざっぱりとなった着物と春の雨に晒された野辺の緑が鮮やかになるのと呼応しているように思います。
    「春雨」と歌には雨が描かれておりますが、お天気の日に洗い張りをする事を考えると、雨降りとお天気を繰り返して一歩ずつ春の近づいて来る事が伺えます。

    • 山川 信一 より:

      和歌は、序詞をいかに生かすかが決め手になります。衣を張ることが春との対比で効いていますね。
      雨を出しても、衣を張ることを考えれば、晴れの日も想像します。その繰り返しで春が進むとも言っているのでしょう。さすが貫之です。

  2. らん より:

    本当、そうですね。
    衣張る、春雨、緑ぞ勝るで、春が進んでることが想像されます。
    どれもいい言葉ですね。

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