《花が咲き匂ってこその春だ》

寛平御時きさいの宮のうたあはせのうた  在原棟梁

はるたてとはなもにほはぬやまさとはものうかるねにうくひすそなく (15)

春立てど花も匂はぬ山里は物憂かる音に鶯ぞ鳴く

「立春になっても、花も咲き匂わない山里は、鳴くのが億劫だという鳴き声で鶯が鳴いていることだなあ。」

立春になっても、春らしいものが何も無い。花は咲いていないし、他にも春を感じさせるものが何も無い。とは言え、鶯だけは、鳴いている。ただし、その鳴き声は、だるい大儀だと言わんばかりだ。これでは、春を味わうことができない。こういう春の場面もあるだろう。
一方、一四番の歌に続けて読めば、「こんな光景は春と言えますか?」と反論しているように読める。「主役は花。鶯は脇役ですよ。花が咲かなければ、たとえ鶯が鳴いたからと言って、不機嫌な声で鳴くだけですよ。それを聞いて春が来たと思えますか?」と言うのだ。

コメント

  1. すいわ より:

    春問答の続きですね。相手の歌を受けて、「いやいや、春と言ったら、、」と即座に歌を詠んで返す。歌合の場に居合わせてみたい気持ちになります。春、それこそ一つ、また一つと花が開くように歌が途切れることなく詠まれたのでしょうね。

    • 山川 信一 より:

      歌は、季節を追って並べられています。季節は行きつ戻りつ前に進んでいきます。その様を描いています。
      と同時に、別の読み方も示しています。遊び心満載です。

  2. らん より:

    鶯が「ちぇっ、なんだよ、春、早くこいよ!」とふてくされて鳴いてる気がします。これもまたまた春が待ち遠しい歌ですね。

    • 山川 信一 より:

      暦が春になっても、実際の季節が伴わないために、イライラすることは今も昔も変わりませんね。
      作者は、鶯に鳴き声に自分の思いを託しています。

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