藤原高子のめぐみ

二条のきさきのとう宮のみやすんところときこえける時、正月三日おまへにめしておほせことあるあひたに、日はてりながら雪のかしらにふりかかりけるをよませ給ひける
                                 文屋やすひて

はるのひのひかりにあたるわれなれとかしらのゆきとなるそわひしき (8)

春の日の光に当たる我なれと頭の雪となるそわひしき

とう宮のみやすんところ:東宮(=皇太子)の母である御息所。東宮は、後の陽成天皇。

「二条の后藤原高子が皇太子のお母上と申し上げた時、正月三日御前にお召しになってお言葉があった間に、日は照りながら雪が頭に降りかかっていたのをお詠ませになった     文屋のやすひで
春の日の光に当たる私ではあるけれど、外の雪は溶けて消えても、私の頭の雪(白髪)は溶けずに白いままであることが侘しい」

『古今和歌集』は、歌のお手本を示す歌集である。四季の歌の部では、季節の移り変わりを丁寧に辿っている。ここでは、雪が降りつつも日が射すという季節感を捉えている。しかし、「二条のきさき」の名前が出て来た以上、別の含みもある。恐らく『古今和歌集』は、藤原高子のご加護の元に成立したのだろう。そのことをうかがわせる歌である。したがって、歌は次のように解される。
「はるのひかり」とは、「東宮」は「春宮」とも言うから、皇太子の恵みを言っている。しかし、同時にその母である藤原高子の恵みも表している。「私は、春宮様と高子様のお恵みをありがたく思っています。しかし、そんな私ものこのように白髪頭の老人になってしまいました。これから春宮様と高子様にどれだけの間お仕えできるかと思うと申し訳なくも悲しくも感じております。」と言うのである。

コメント

  1. すいわ より:

    二条の后に対する康秀の忠義なのですけれど、伊勢物語の七十六段を髣髴させますね。
    高子の歌からも思うのですが、彼女にとって編纂に関わる事が彼との恋の形見となったのではないでしょうか。

    • 山川 信一 より:

      そう思えますね。少なくとも、貫之はそう思っていたのではないでしょうか。だから、『伊勢物語』を書かずにはいられなかったのでしょう。
      『古今和歌集』と『伊勢物語』並べてみると、様々なことが想像されますね。

  2. らん より:

    いろいろ含んでいて、大人の事情があるのですね。
    面白いです。

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