第五段 不幸は理想的な生活への入り口

不幸に愁(うれへ)に沈める人の、頭(かしら)おろしなど、ふつつかに思ひとりたるにはあらで、有るかなきかに門さしこめて、待つこともなく明し暮したる、さるかたにあらまほし。
顕基中納言の言ひけん、配所の月、罪なくて見ん事、さも覚えぬべし。

不幸に:不幸のために。
頭おろし:髪を切って出家する。
ふつつかに:思慮が浅く、かたくなようす。
思ひとりたる:思い込んでいる。
門さしこめて:門を締め切って閉じこもって。
さるかたにあらまほし:それなりに望ましい。
言ひけん:「けん」は過去推量・伝聞の助動詞「けむ」の連体形。「配所の月、罪なくて見ん事」に掛かる。
顕基中納言:源俊賢(としかた)の長男。後一条院の近習で、その崩御を悲しんで出家した。
配所:罪を犯して流されていく場所。
さも覚えぬべし:そのように感じられたに違いない。

「不幸のために悲しみに沈んでいる人が、髪を切って出家するなど、思慮浅く思い込んでいるのではなくて、住んでいるのかいないのかわからないように門を閉めて閉じこもって、誰を待つこともなく毎日を過ごしているのは、それなりに奥ゆかしくて望ましい。
顕基中納言が言ったと言う「配所の月を、罪が無い身で見たい。」との事は、そのように感じられたに違いない。」

理想的な出家生活を述べている。人との交際を絶って一人静かに暮らすのは望ましい。不幸はそのための良い機会にすべきだ。機会を得たら、きっぱりと出家すべきだ。顕基中納言は、「罪を犯して流されるのではなく、配所のような僻地で心安らかに月を眺めていたい。」と言った。それはまさに私がこのように述べる思いに重なる。兼好法師は、こう言いたいのだろう。
確かに人との交際は煩わしい。常にここではないところに心奪われるのは浮ついている。いずれも、本来の自分から遠ざかることになり兼ねない。それは不幸な生き方である。引き籠もって、自分の志のままに生きるに越したことはない。
引き籠もりそのものは、直ちに否定されるべき悪ではない。現在のコロナの自粛生活は、そのことに気づかせてくれた。むしろ今の生活は、兼好法師の言う理想に近いのかも知れない。

コメント

  1. すいわ より:

    自分を他者から切り離す事で誰からの影響も受けないまっさらな自分と向き合えるようになるのなら孤独を選ぶのは悪い事ではないと思います。それが煩わしさから逃れる為でなく、自分をしっかり見つめられるのであればその煩わしさにも対応できるようになるでしょうし。とは言え、人間は弱いものだから時に逃げることも必要ですけれど。

    • 山川 信一 より:

      今も昔も自分に向き合うことは難しかったようです。世俗のことにかまけて、いたずらに時を過ごす。それが人生だったようです。
      コロナ禍は、自分に向き合うよいチャンスかも知れませんね。

  2. らん より:

    引きこもりは自分と向き合うチャンスでいいことでもあるのでですね。
    今は外に出れなくて辛いですが、そういうことだと思うことにします。

    • 山川 信一 より:

      そうですね。何にでも良い面はあります。
      ただし、兼好法師がどう考えていたのかは不明です。

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