AはBなりけり

二日、あめかぜやまず。ひひとひよもすがらかみほとけをいのる。
三日、うみのうへきのうのやうなればふねいださず。かぜふくことやまねばきしのなみたちかへる。これにつけてよめるうた、
ををよりてかひなきものはおちつもるなみだのたまをぬかぬなりけり
かくて、けふくれぬ。

問「ををよりてかひなきものはおちつもるなみだのたまをぬかぬなりけり」を鑑賞しなさい。

雨風が止まない。昼夜となく神仏に祈る。それでも、一向に風が吹き止まないので、浪が高くなり岸に打ち寄せては返る。そこで、その様にこと寄せて詠んだ歌、
「AはBなりけり」は、この時代の歌によく用いられる表現(構文)である。AがBであることを発見して、感動するの意を表す。もっと正確に言えば、AもBも知っていた。しかし、AとBがどういう関係にあるかは、知らなかった。しかし、それが今わかった。その発見の感動である。
それに沿って、この歌を解釈すると、こうなる。
「いくら麻を縒って緒にしても甲斐の無いものがあることは、可能性としては知っていた。しかし、それが具体的に何かまでは知らなかった。しかし、今こそそれがわかったのだ。落ち積もる涙の玉を貫かない、つまり、涙の玉を貫き数珠にできないことことだったのだ。」浪によってできた無数の泡を白玉に見立て、それがバラバラに砕け散る。その甲斐なき様によって、今の辛い思いを表している。
ここで「緒を縒る」とは、比喩である。その動作の類似から神仏に祈ることを暗示している。いくら祈っても甲斐が無い。天候が一向に回復しない。涙は無駄に流れるばかりである。つまり、神仏にいくら祈っても祈りが届かないとは、涙がこう止めどなく流れることだったのだ。(問)

コメント

  1. すいわ より:

    二月一日の穏やかな日和を経験した後だけに、二日続けての悪天候は乗船客の気持ちをいつも以上に沈ませたことでしょう。二日間、必死に祈っています。船の出ない事を悲しみ流す涙とも思ったのですが、自分で拭える涙より、抗えない力、天から落ちる雨を涙と見立てて解釈しました。
    糸を縒る動作、イメージ出来ない人、多いかもしれませんね。

    • 山川 信一 より:

      涙に降る雨のイメージが重なっているのは間違いありません。この止めどなく降る雨のように流れる涙という意味を表しています。
      かなり凝ったうたですね。二重にたとえがなされています。貫之の歌に愚作はありません。

  2. らん より:

    凝った歌ですね。
    緒を縒るって、私もイメージがあまりつきませんでした。
    何回も読んだのですがちんぷんかんぷんでした。
    そういう動作のことですね。
    おちつもる涙のたまで数珠だなんて、かなり凝ってますね。
    涙は貫けないですものね。
    貫之、すごいなあ。かっこいいですね。

    • 山川 信一 より:

      今は、緒を縒るなんてことはしませんからね。でも、神仏に祈る動作に似ているでしょ?
      涙の玉で数珠という発想自体は、そう珍しいものではありません。でも、歌全体としては工夫されています。
      神仏に必死にお祈りをしても、こう足止めを食らっては、泣きたくもなりますね。
      これからも貫之の魅力を発見していきましょうね。

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