土佐の泊まりに

廿八日、よもすがらあめやまず。けさも。
廿九日、ふなねいだしてゆく。うらうらとてりてこぎゆく。つめのいとながくなりにたるをみてひをかぞふれば、けふは子日なりければきららず。むつきなれば京のねのひのこといひいでゝ、こまつもがなといへどうみなかなればかたしかし。あるをんなのかきていだせるうた、
「おぼつかなけふはねのひかあまならばうみまつをだにひかましものを」
とぞいへる。うみにてねのひのうたにてはいかゞあらむ。またあるひとのよめるうた、
けふなれどわかなもつまずかすがののわがこぎわたるうみになければ」。
かくいひつゝこぎゆく。おもしろきところにふねをよせて「こゝやいづこ」ととひければ、「とさのとまり」とぞいひける。むかしとさといひけるところにすみけるをんな、このふねにまじれりけり。そがいひけらく、「むかししばしありしところのなたくひにぞあなる。あはれ」といひてよめるうた、
としごろをすみしところのなにしおへばきよるなみをもあはれとぞみる」。

問1「うみにてねのひのうたにてはいかゞあらむ」と言う理由を考えなさい。
問2「むかしとさといひけるところにすみけるをんな、このふねにまじれりけり」という設定にしたのはなぜか、答えなさい。
問3 次の歌を鑑賞しなさい。
①「けふなれどわかなもつまずかすがののわがこぎわたるうみになければ」の歌を鑑賞しなさい。
②「としごろをすみしところのなにしおへばきよるなみをもあはれとぞみる」

「おぼつかな」の歌の意はこうなる。「はっきりしないわね、今日は子の日なのかしら。若菜も無いのよ。私が海女ならば、せめて代わりに海草だけでも引いてきただろうになあ。それでもできないわ。」(「だに」は「せめて・・・だけでも」の意。「まし」は、反実仮想の助動詞。)
ただこの表現だと、場所が特定できない。海の上にいるとは限らなくなる。たとえば、海浜にいる場合でも、こう言えてしまう。やや心情が先行してしまっている。
それとともに、歌にはこういう風に批評する楽しみもあることを示しているのであろう。(問1)
実際は、乗組員全員が土佐に住んでいたことは、作者が紀貫之であることと共にわかっていたはずである。何より題名が『土佐日記』なのだから。しかし、敢えてこう書くことによって、この作品がフィクションであることを示しているのである。(問2)
「けふなれど」の歌は「おぼつかな」の歌に対して、望ましい歌を示している。「今日は子の日であるけれど、若菜も摘まない。まして小松は抜けない。だって、それらが生えている春日野が私が漕ぎ渡る海には無いのだから。ああ、今日は京がひとしお恋しい。」(問3①)この歌には、場所も心情も詠み込まれている。
「この港は、何年も住んできた所と同じ名を持っているので、打ち寄せる波は憎たらしいものだけど、それまでも、しみじみと味わい深いものと見てしまうのだ。まるで懐かしいあの地に帰ってきたように思えてくるから。」ここでも、「浪」へのこだわりがある。海での歌の「浪」は一貫したモチーフになっている。(問3②)

コメント

  1. すいわ より:

    よく分からない回でした。二十七日につまはじきした指先、爪が当たって痛かったのか、クローズアップされて、ここでも旅の時間の経過を感じさせられましたが、七草の時などと違い、睦月子の日が感覚的に分からず、まず頭を抱えてしまいました。「けふなれど」の歌と比べると、成程、より細やかに状況、心情が描かれていて、歌詠みのレッスンになっているのですね。
    更に問ニがわからない。「とさといひけるところにすみけるをんな」?みんな土佐から来たはずなのに、この人は一体、どう言う立場の人?途中の泊まりで乗り込んで実は土佐に住んでいた事があった人?と考え込んでしまいました。この女が今は別の土地に住んでいて、土佐を懐かしむ歌を歌う事で、乗船客が「土佐は良い所だった」ということを再確認する、同じ旅程で旅をして来た人たちと立場の違う人を出すことで、前出同様、本当の書き手の存在をぼかす効果を狙ったのかと思いました。
    問三、船を出せなくなる、忌々しい浪ではあるけれど、土佐から遥々と寄せて来た浪だと思うと、と望郷の念に駆られるのですね。浪が通奏低音のように物語に響いていますね。

    • 山川 信一 より:

      つまらない時に爪をはじきする仕草は、その様子が目に浮かび、その気持ちも伝わってきます。きっとそれで、爪が伸びたことに気が付いたのでしょう。ここでも書き手が女性であることをほのめかしています。
      子の日の行事は、今ではしませんね。京では、春を待ち望む気持ちからなされたのでしょう。そのことを思って、また京が恋しくなったに違いありません。
      歌についての書き手のコメントは、貫之による歌のレッスンとも読めますが、私はこうして批評することも歌の楽しみだと言っているように感じました。(歌の評価はそれぞれです。私はそれほど下手な歌とは思えません。こう言う評価もあるのでしょう。)
      問2は、読者を混乱させますね。「何とぼけているの?みんな土佐から来ているのに、うそつき!」という思いに駆られます。でも、それが狙いではないでしょうか?「この話は作り話なんですよ。」と言いたいのでは?その意味で「本当の書き手の存在をぼかす効果を狙った」とも言えます。
      問3、同感です。、

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