早朝にも関わらず

九日のつとめておほみなとよりなはのとまりをおはむとてこぎいでにけり。これかれたがひにくにのさかひのうちはとてみおくりにくるひとあまたがなかにふぢはらのときざね、たちばなのすゑひら、はせべのゆきまさらなむみたちよりいでたうびしひよりここかしこにおひくる。このひとびとぞこころざしあるひとなりける。このひとびとのふかきこころざしはこのうみにはおとらざるべし。これよりいまはこぎはなれてゆく。これをみおくらむとてぞこのひとどもはおひきける。かくてこぎゆくまにまにうみのほとりにとまれるひともとほくなりぬ。ふねのひともみえずなりぬ。きしにもいふことあるべし、ふねにもおもふことあれどかひなし。かゝれどこのうたをひとりごとにしてやみぬ。
おもひやるこころはうみをわたれどもふみしなければしらずやあるらむ」。

問「このひとびとぞこころざしあるひとなりける」とあるが、なぜそう思うのか、答えなさい。
問「おもひやるこころはうみをわたれどもふみしなければしらずやあるらむ」の歌意を答えなさい。

「九日。つとめて」ではなく、「九日のつとめて」と書いてある。それは、「つとめて」を強く意識しているからであり、藤原時実らがやって来たことに繋がる。彼らは、国司の館を出発して以来、ここかしこの停泊地に追って来る。しかも、早朝にも関わらず最後の見送りにも来てくれたのだ。たとえ、思いがなくとも、言葉では何とでも言える。物ならいくらでも贈れる。しかし、行動はそうはいかない。強い志がなければできない。彼らの思いが本物であることがわかる。書き手は、藤原時実への最初の評価をすっかり改めているに違いない。(問1)
見送り人への溢れるばかりの思いは海を渡るほどであるけれど、海上と言うことで手紙は出せないし、足を踏み出すこともできない(「ふみ」は「文」と「踏み」の掛詞)ので、彼らは今私の思いを知らないでいるだろうか。いや、知っていると思いたい。(「らむ」は現在推量)(問2)

コメント

  1. すいわ より:

    見送りの人は早朝のその刻限に到着しているのですね。そして出航した船の後を追う。旧国司はここまで慕ってくれているとは思っていなかったでしょうから、感慨一入だった事でしょう。去る時になって初めて気付かされる時実達の自分に対する気持ちを知って、一層去りがたい気持ちが込み上げて来たのではないでしょうか。

    • 山川 信一 より:

      土佐の人々との心の繋がりが想像されますね。別れ難さが伝わってきます。今生の別れですものね。

  2. らん より:

    今の時代ならば、どこにでもすぐに行けるけれど、そうじゃないですものね。
    今生の別れですね。
    文を出せなくても、足を踏み出さなくても、きっと想いは伝わってますよ、と伝えたいです。

    • 山川 信一 より:

      船旅ならではの別れの場面ですね。それにしても、行きはどうやって来たのでしょうか?淡路島経由で、海を渡ってきたのでしょうか?
      本格的な船旅が初めてのようですから、多分そうなのでしょう。となると、帰りは敢えて船旅を経験したかったのかもしれません。
      別れの場面を含めて・・・。

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