この日記の性格

廿九日、・・・。 元日、・・・。

『土佐日記』は、フィクションであることが随所でわかるように書かれている。しかし、そのことを伝えながらも、反面真実味を加えることも忘れてはいない。それがこの日のことを何も書かなかった理由である。この日は、誰も訪れなかったし、これと言って書くべき出来事も無かった。一方、正月への思いで気もそぞろであった。この年の大晦日は、そんな一日であった。そのため、日記を書く気になれなかったのだ。そういう日もたまにある。日記を一度でも書いたことがあれば、共感できるはずだ。貫之は、何も書かないことでそのことを伝えている。沈黙が多くを語ることもあるを応用したのだ。しかも、この「沈黙」は、この日記に真実味を加えるだけでなく、この日記を性格をも伝えている。つまり、この日記は、出来事を通して、書き手の思いを述べたものであることを示している。だから、この日は何も書かないことで思いを伝えているのだ。(ちなみに、太陰暦は二十九日で終わる小の月と、三十日で終わる大の月を組み合わせて一年としている。旧暦には三十一日は無い。その代わり閏月がある。)

コメント

  1. すいわ より:

    またしても貫之にやられた気分です。フィクションだと言うことを失念してしまう。オンタイムで書き綴られた(貫之の)日記を読んでいる気分になってしまいます。日記であることを装う、その辺りが実に巧みですね。この日が抜けている、何かあったのだろうか?いや、何もなかったのか。知らず先を読まずにいられません。

    • 山川 信一 より:

      フィクションによって真実を伝えています。題材は実際の船旅であっても、それを作品に再構成しています。
      隅々にまで心を配り、表現を練り上げています。敢えて書かない効果まで利用しています。
      言語表現とは何かを学べますね。

  2. らん より:

    そうですよね。
    特にイベントがなかったってことで。
    そういう日もありますよね。
    普通ですね。よくわかります。

    • 山川 信一 より:

      日記に何も書く気になれない日もあります。それをリアルに再現しているのでしょう。
      しかし、書かないことでその思いが伝わってきます。
      沈黙は時に多くを語ります。たとえば、恋人の沈黙は怖いですよね。

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