心ある人々

(といひけるあひだに)かこのさきといふところにかみのはらからまたことひとこれかれさけなにともておひきて、いそにおりゐてわかれがたきことをいふ。かみのたちのひとびとのなかにこのきたるひとびとぞこころあるやうにはいはれほのめく。かくわかれかたくいひて、かのひとびとのくちあみももろもちにてこのうみにてにひいだせるうた、
をしとおもふひとやとまるとあしがものうちむれてこそわれはきにけれ
といひてありければ、いといたくめでゝゆくひとのよめりける、
さをさせどそこひもしらぬわたつみのふかきこゝろをきみにみるかな

(といひける間に)鹿児の崎といふ所に守のはらからまた他人これかれ酒なにと持て追ひきて、磯におり居て別れ難きことをいふ。守のたちの人々の中にこの來る人々ぞ心あるやうにはいはれほのめく。かく別れ難くいひて、かの人々の口網も諸持ちにてこの海辺にて荷ひいだせる歌、
をしと思ふ人や留まるとあし鴨のうち群れてこそ我はきにけれ
といひてありければ、いといたく愛でゝ行く人のよめりける、
棹させど底ひも知らぬわたつみの深き心を君に見るかな

かみのはらから:新国司の兄弟
ことひとこれかれ:国府に使えていた人ではない人もそこここに。「これかれ」は一人一人を確かめている言い方。
さけなにともて:酒や何やらを持って
こころあるやうにはいはれほのめく:真心があるように思われて、それを思わず口にしてしまう
くちあみももろもちにて:みんな口を揃えて。(海なので「網」でたとえている。「荷ひいだせる」は、網に合わせた表現。)
をしとおもふひとやとまるとあしがものうちむれてこそわれはきにけれ:鴛鴦鳥にたとえられるような立派なあなたがこの地を去ることを惜しいと思います。(「をし」は〈鴛鴦〉と〈惜し〉の掛詞。)もしかしたら、引き止めれば思い留まるかと思って、つまらない鴨のような私ですが、群れてやって来ました。(「あし」は〈悪し〉と〈葦〉の掛詞。)
めでて:素晴らしいと感動して
さをさせどそこひもしらぬわたつみのふかきこゝろをきみにみるかな:棹を差しても底もわからない海のように深い心をあなたが持っていることがわかりました。

問1 ここからどのようなことがわかるか、答えなさい。
問2 二つの歌の中で「われ」と「きみ」を使っている理由を答えなさい。

コメント

  1. すいわ より:

    問一
    「亡き子」に例えた、この地で出会った別れ難い人々が手に手に送別の品を持ってなり振り構わず馳せ参じてくれた。「『つまらない身分の者達でもみんなで頼めばここに留まってくれるのではないか』と私はここへ来ました」と集まった一人びとりがそう思っている。旧国司は地元の人々から信頼され敬われていたことがわかる。

    問二
    親愛の関係にある

    • 山川 信一 より:

      問1、大正解です。「集まった一人びとりがそう思っている」とあります。問2は、そこから答えるべきでした。つまり、「われ」にその思いが込められています。それぞれ自分の意志で来たことを表しています。
      「きみ」は、身近で親愛の情を持つ対象を表す言葉です。(「人」と対照的な語です。「かへらぬ人」)「ゆくひと」は一人一人の「われ」に「きみ」と答えているのです。

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