門出の日時

をとこもすなる日記といふものを、をむなもしてみむとてするなり。それのとしのしはすのはつかあまりひとひのいぬのときにかどです。そのよしいさゝかものにかきつく。あるひと、あがたのよとせいつとせはてゝれいのことゞもみなしをへて、げゆなどとりて、すむたちよりいでてふねにのるべきところへわたる。かれこれしるしらぬおくりす。としごろよくくらべつるひとびとなむわかれがたくおもひてそのひしきりにとかくしつゝのゝしるうちによふけぬ。

問1 傍線部が表す内容を現代風に言いなさい。
問2 なぜ傍線部のように書いたのか、気付いたことがあれば記しなさい。

コメント

  1. すいわ より:

    その年(日記を綴り始めた年?)の十二月二十日頃(あまり)、ある日の戌の刻(夜7時から9時頃)に出発する。

    「はつかあまりひとひ」→20+1=二十一日の戌の刻?なのか?

    「〜の〜の」と続いてここも文がすっきりしません。
    戌の刻、夜ですよね。日が暮れてから旅立つものなのでしょうか?旅立ちを人に気付かれたくないのか?
    そう思ったら「ひとひのいぬのときにかどです。」が、「人居ぬ時に門出す」に見えて来て、出発の日付は21日と確定しない方にしてみました。

    • 山川 信一 より:

      私も同じように感じました。「〜の〜の」はまどろっこしいなあ!「戌の時」に門出?という風に。
      「人居ぬ時に門出す」は、「居」が〈ゐ〉なので無理です。

  2. ベッカム より:

    その年(旅に出た年)の、12月の、にじゅう、いち日、の戌の時に出発。
    思い出している。ふうに書いている。

    時間が遅いから、足か道に都合があったのかと思いました。でも、現在と違って、海陸とも時刻表なんかないですね

    • 山川 信一 より:

      コメント、ありがとうございます。
      「その年(旅に出た年)の、12月の、にじゅう、いち日、の戌の時」とありますが、「それのとしのしはすのはつかあまりひとひのひのいぬのときに」をなぜ言い換えたのですか?
      「それのとし」は思わせぶりな表現です。「思い出している。ふうに書いている。」と思ったのはなぜですか?
      「足か道に都合があった」とありますが、その「都合」こそを考えねばなりません。「足か道に」とは何を意味するのですか?

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