足の糸は解くに由なし

嗚呼、独逸に来し初に、自ら我本領を悟りきと思ひて、また器械的人物とはならじと誓ひしが、こは足を縛して放たれし鳥の暫し羽を動かして自由を得たりと誇りしにはあらずや。足の糸は解くに由なし。曩《さき》にこれを繰《あや》つりしは、我《わが》某《なにがし》省の官長にて、今はこの糸、あなあはれ、天方伯の手中に在り。余が大臣の一行と倶にベルリンに帰りしは、恰《あたか》も是れ新年の旦《あした》なりき。停車場に別を告げて、我家をさして車を駆《か》りつ。こゝにては今も除夜に眠らず、元旦に眠るが習なれば、万戸寂然たり。寒さは強く、路上の雪は稜角ある氷片となりて、晴れたる日に映じ、きら/\と輝けり。車はクロステル街に曲りて、家の入口に駐《とゞ》まりぬ。この時窓を開く音せしが、車よりは見えず。馭丁《ぎよてい》に「カバン」持たせて梯を登らんとする程に、エリスの梯を駈け下るに逢ひぬ。彼が一声叫びて我頸《うなじ》を抱きしを見て馭丁は呆れたる面もちにて、何やらむ髭《ひげ》の内にて云ひしが聞えず。「善くぞ帰り来玉ひし。帰り来玉はずば我命は絶えなんを。」

「豊太郎は、自分の情けなさを嘆いている。ドイツに来て本当の自分に出会えたと思い、器械的な人間にはなるまいと誓ったけれど、これは足を縛られた鳥が羽を動かして自由を得たと誇っていたのではないか。足の糸を解く方法はない。以前これを操っていたのは、私が務めていた某省の上司で、今はこの糸が、ああなんと、天方伯の手の中にある。」
「豊太郎はホントによく自己分析するよね。おまけにここでは嘆きまでしている。愚痴るばかりで、解決しようとは思いもよらないんだ。そこがダメなところだ。」
「だけど、世の中にこういうタイプの人間って、よくいるよね。現状を絶対変えられない運命だと思っているんだ。だから、ひたすら愚痴る。これも鷗外による批判だね。」
「豊太郎が一行とベルリンに帰ってきたのは丁度元旦だった。駅で別れを告げて、我が家に向けて馬を走らせた。欧州では昔から除夜には寝ないで元旦に寝る習慣がある。すべての家々がひっそりと静まりかえっていた。寒さは強く、路上の雪は尖った氷のかけらになって、晴れた日に反射して、キラキラと輝いている。車はクロステル街に曲がって、家の入り口に停まった。この時、窓を開ける音が聞こえたが、車からは見えなかった。ここからどんなことがわかる?」
「豊太郎は「我家」と言っているよね。エリスへの思いはあるんだ。」
「エリスが車の音に気が付いて窓を開けたのは、豊太郎の帰りを今か今かと待っていたからだ。元旦の朝に帰ってくると、予め知らされていたんだろう。」
「御者に鞄を持たせて階段を登ろうとする間に、エリスが階段を駆け下りるのに出会った。エリスが一声叫んで豊太郎のうなじを抱いたのを見て、御者は呆れた顔つきで、何やら髭の中で言ったが、何を言ったのか聞こえなかった。この場面から何がわかる?」
「エリスは豊太郎が登ってくるのが待ちきれなかったんだ。顔を見ると、声を上げて抱きついた。エリスの喜びが伝わってくるね。それほどに恋い焦がれていたんだ。」
「それを見ていた御者は、冷たいね。人種差別があるね。白人の女性が黄色人種に抱きつくのが気に入らないんだ。聞こえよがしに文句を言っている。」
「「よくお帰りになりました。お帰りにならなかったら、私の命は絶えてしまったでしょう。」エリスのこの言葉からどんなことがわかる?」
「エリスがどれほど寂しかったか、再会をどれほど喜んでいるか、帰ってこないかもしれないとどれほど心配していたかなどがわかる。」
豊太郎の生き方とエリスの生き方が対照的に描かれている。豊太郎は、相変わらず受動的に生きている。他者の思うがままになっている。一方エリスは、能動的、主体的に生きている。人の目なんて気にしない。自分がしたいようにする。しかし、いつも棄てられることを恐れている。父に死なれて、不幸の底に陥ったことがトラウマになっているのだろう。自分は最愛の人を奪われる運命にあるのかもしれないという疑念を抱いている。だから、再会の喜びにもどこかくらい影が差している。
ちょっと気になるのは、エリスがいつでも豊太郎に敬語を使っていることだ。なるほど、年上ではあるし、教養もあり、尊敬すべき対象であることはわかる。しかし、敬語は、人と人との距離感を表す言葉でもある。エリスは、豊太郎を愛してはいてもどこか距離感を持っていたのだろうか。

コメント

  1. すいわ より:

    「運命」という言葉は、随分重宝なものですね。どんなに抗っても避けられない。豊太郎とエリスが出会った事、子供が生まれてくる事、この二つは動かし難い。でも、他の事に関しては運命でも何でもなく豊太郎が選んだ結果。失敗を運命と言い訳するのは楽ですね。責任を逃れるには最適な方法です。「足の糸は解くに由なし」、でも、本当は決められない豊太郎にとっては繋がれていて都合が良いのではなかったのか。もし、その糸を持つ人が手を放していても、糸の持つ長さの限界の外側へ、自分の意志で豊太郎は出ようとしないのではないでしょうか。
    エリスもヒロイズムに浸かっていますね。「我命は絶えなんを」、今やエリスの命はエリス一人の命ではないのですけれど、階段を駈け降りてしまうのですね。掴みきれない豊太郎の心、気持ちはわかるのだけれど、こちらはこちらで実のところ母の自覚があるかというと、どうなのでしょう。この子を守ろう、という行動ではない。お腹の子供は豊太郎を繋ぐアイテムになっている?師弟から始まった二人の関係はそう距離が詰まっていない、だから御者(他者)から見て「この金持ちのアジア人が、金に物言わせてこんな若い娘を囲っていやがる」みたいな目で見られるのでしょう。後ろめたい豊太郎、エリスに抱きつかれても、さぞぎこちない様子だったのでしょう。

    • 山川 信一 より:

      自分で責任を取りたくない、都合の悪いことは他のせいにする。自分を変えられない。ダメな自分が可愛い。それが日本の教育が生み出した、「理想的な人物」の正体なのです。
      エリスには母になる自覚があります。それは次の場面で明らかになります。だから、体を気遣ってはいたはずです。しかし、ここでは豊太郎に会いたい気持ちが勝ってしまったのでしょう。
      ただし、お腹の子によって豊太郎を引き止めようとしているのは確かです。なるほど、御者にそんなぎこちない関係を見抜かれたと考えることもできますが、御者にそこまでの洞察力は無いでしょう。これは人種的偏見によるものです。
      この時の豊太郎は、エリスとの愛の関係に陶酔しています。他のことは忘れています。エリスが愛しくてなりません。後ろめたさなどどこへやらです。

  2. らん より:

    愛しい豊太郎が現実に帰ってきてすごく嬉しいエリスの喜びがすごく伝わってきました。
    逢いたくてたまらなかったから、抱きしめることができて、さぞ、嬉しかったでしょうね。
    豊太郎もそうですね。
    再会のこの時は何もかも忘れて愛に陶酔してますね。
    この瞬間が永遠に続いて欲しいくらい、幸せです。

    そのあと2人はこれからの話をするのかな。ドキドキします。

    • 山川 信一 より:

      二人でなくても、愛の陶酔の中で生きていられたら、どんなに幸せでしょう。エリスはそのために生きることができる人です。
      しかし、豊太郎にはそれができません。しがらみの中で生じた義務と責任の中で生きざるを得ません。人は決して一人では生きていかれないことを知っているからです。
      他者との関わりの中で生きている以上、そのため不本意な生き方を強いられることもあります。それを悩み苦しむことも生きることなのです。

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