人なみならぬ面もち

 官長はもと心のまゝに用ゐるべき器械をこそ作らんとしたりけめ。独立の思想を懐《いだ》きて、人なみならぬ面《おも》もちしたる男をいかでか喜ぶべき。危きは余が当時の地位なりけり。されどこれのみにては、なほ我地位を覆《くつが》へすに足らざりけんを、日比《ひごろ》伯林《ベルリン》の留学生の中《うち》にて、或る勢力ある一群《ひとむれ》と余との間に、面白からぬ関係ありて、彼人々は余を猜疑《さいぎ》し、又|遂《つひ》に余を讒誣《ざんぶ》するに至りぬ。されどこれとても其故なくてやは。

「上役は元々自分の思い通りになる機械を求めていたのだろう。だから、独立の思想を持ち、「人ひとなみならぬ顔」をしている男をどうして喜ぶだろうか(疎んじるようになった)。この「人ならぬ面もち」ってどういう意味?」
「「人なみ」と言うのは、普通の日本人並ってことだね。つまり、自分の意見など持たずに、上役の言うことに機械的に従うってこと。だから、「人なみならぬ面もち」は、上役に逆らう生意気な態度ということだね。」
「そのため、地位が危なくなったけれど、さすがにこの程度では豊太郎の地位を奪うことまではできなかった。だって、豊太郎の言っていることは一応正論だものね。」
「上役に逆らうって怖いね。だから、普通の人は、上役にペコペコしているんだ。でも、自分の意見をしっかり持ち、それを堂々と述べるのは、人として望ましいことだよね。だから、これも、日本社会がそれを許さないことへの批判だね。」
「一方、豊太郎は留学生仲間の有力な連中とのよくない関係があった。そこで、彼らは豊太郎を疑い、遂に事実無根のことで陥れようとした。しかし、それには理由がないのか、いやあるのだ。ここ辺りで何か気付くことがあるかな?」
「異常事態だけを言って、その理由を書かれていない。これは先を読ませる工夫だね。でも、なぜ留学生仲間と上手くいっていなかったんだろう?」
「彼らも豊太郎が「人なみならぬ面もち」が気に入らないんだよ。自分だけいい格好をしやがってと思うからじゃないかな?自分ができないこと、それも〈立派な〉ことをされると、人は妬むからね。」
 学校の道徳の授業では、「自分の意見をしっかり持ち、それを堂々と述べる」ように教えるよね。でも、現実にそれを実行すると、ひどい目に遭う。疎んじられたり、妬まれたりする。生徒は、既にそれを知っている。だから、道徳の授業を信用していない。タテマエ、キレイゴトだと割り切っている。豊太郎の現実は、今でも少しも変わっていない。だから、みんな「いいね」が付くような生き方を選んで生きているんだ。でも、あたしはそんな生き方は嫌だなあ。

コメント

  1. すいわ より:

    私もそんな生き方嫌ですね。優秀な人に憧れて目標にして努力はしても、妬むとか、意味がわかりません。妬む、という事は自分で自分の足らなさを認めてるという事ですし。その人の足を引っ張って追い抜いたつもりでいても、その人以上になっていない。そんな無駄な事に力を注ぐ暇があったら、一歩でも、半歩でも前に進みたいです。単純に私自身が鈍いせいなのかも知れませんが、どこの誰とも知れない人に「いいね」と言ってもらわなくても、その時の自分が良いか悪いかなんて、自分が一番わかっている事なので気にもなりません。でも、、豊太郎は馬鹿じゃない、純粋培養されたみたいな人だから、理不尽な悪意に打ちのめされてしまうのでしょうか。「いい格好をしているんじゃなくて、カッコいいんだよ、上役におもねていい子ぶっているのはお前たちじゃないか!悔しかったらせめてカッコつけてみせろ!」と加勢してやりたいです。

    • 山川 信一 より:

      『舞姫』は、批判の書です。鷗外が日本人を見てけしからんと思っていることを小説に盛り込んでいます。
      それを読むと、恐らく多くの人は嫌だなあと思うに違いありません。でも、問題はその先なんです。
      堂々とその批判に答える生き方ができる人がどのくらいいるでしょうか?その勇気に欠ける人ばかりです。
      学校教育は、キレイゴトの道徳ではなく、そこにこそメスを入れるべきです。あらゆる教科は道徳です。
      国語も、その意味で道徳教育をしなければいけません。

      • らん より:

        自分の考えを貫いて生きていくことは勇気のいることですね。
        批判に応える生き方はとても勇気がいること。確かに日本人は集団に弱いから尻込みしちゃうとこありますよね。
        私もその1人です。
        でも私は、「いいね」はいらないなあ。
        なんでみんなそんなに欲しがるのかなあ。

        • 山川 信一 より:

          人間は一人では生きていかれません。集団で助け合いながら生きていくしかありません。集団から外れる生き方ができません。
          しかし、集団がいつも正しいとは限りません。それに従っていれば、絶対安全というわけではありません。
          だから、集団はいつでも個人の批判に応えるべきなのです。それが健全な集団のあり方です。なのに、現実には、集団はそれを嫌う傾向があります。
          そこで、個人は集団を批判できなくなります。もちろん、これは誤りです。集団のためになりません。結局、集団を愛していないことになります。
          そんな状況の中に生きる個人は、自分に自信が無くなり、誰かの承認を必要以上に求めます。それが「いいね」をほしがる心理です。

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