鈴索を引き鳴らし

 余が鈴索《すゞなは》を引き鳴らして謁《えつ》を通じ、おほやけの紹介状を出だして東来の意を告げし普魯西《プロシヤ》の官員は、皆快く余を迎へ、公使館よりの手つゞきだに事なく済みたらましかば、何事にもあれ、教へもし伝へもせむと約しき。喜ばしきは、わが故里《ふるさと》にて、独逸、仏蘭西《フランス》の語を学びしことなり。彼等は始めて余を見しとき、いづくにていつの間にかくは学び得つると問はぬことなかりき。
 さて官事の暇《いとま》あるごとに、かねておほやけの許をば得たりければ、ところの大学に入りて政治学を修めむと、名を簿冊《ぼさつ》に記させつ。

「ここは留学先の役所に挨拶をしに行った時のことが書いてある。「鈴索を引き鳴らして」とか「東来の意」とか、なんて時代がかった表現だこと。普魯西《プロシヤ》はドイツ帝国の一部の国ね。向こうの役人たちは、東洋からの来訪者である豊太郎を快く受け入れてくれたようね。ドイツ語とフランス語が堪能なのにみんなびっくりしたとある。豊太郎の優秀さを示しているわ。少し自慢めいているけど。」
「でも、これって、反面、これは東洋人に対する侮りでもあるよね。レベルが低いと思っているからこう言うんだよ。彼らが優しげなのは、優越感の裏返しでもある。」
「いい大学に入って、いい職業について、語学を身に付けて、海外で活躍するというのは、今でも多くの人の憧れの姿だよね。「あたしの夢は、国連に入って、世界平和に貢献することです。そのために英語を頑張っています。将来はフランス語も身に付けたいです。」なんて言う人がいるよね。その理想の原型は既にここにあったんだ。」
「今の人の理想はこの頃と少しも変わっていないんだね。じゃあ、その理想的な人物がこの先どうなるかは気になるよね。」
「豊太郎は、さらに勉強しようと思って、大学に登録したのね。勉強がよほど好きなんだ。」
「何のために勉強するのかな?」
「政治学だから更に出世したいからじゃない?出世に役に立てたいんだよ。」
 これだけでもいろんなことがわかるね。豊太郎は、今の私たちの理想を実現した人なんだ。あたしたちだって、いい学校に入って、いい職業について出世して、海外でも活躍したいって、思うものね。でも、その理想ってなぜできあがったんだろう?誰に教わったんだろう?親?先生?世間?

コメント

  1. すいわ より:

    政治学を修めて帰国し、大臣にでもなるのでしょうか。明治の世になって才能を武器に頂点に立てるチャンスを得られるようになった、という事なのでしょうけれど。学ぶ事は好きなのですよね。その「学び」を目的とするのか、手段とするのか。その行き着く先が同じでも見える景色は全く違うのではないかと思うのです。万事滞りなくベルリンでの生活をスタートした豊太郎、帰途の姿を思うと、およそ成功した人の様子ではありません。優秀な自分に自信があったでしょうに、彼に何が起こるのでしょう。

    • 山川 信一 より:

      当時の豊太郎に見える世界は限定的なものでした。まさに政治学を修めて大臣になろうと思っていたのでしょう。それこそが自分に相応しい道だと信じていました。
      それを教えたのは、母であり、当時の日本社会です。しかし、学問が狭い考えを変えてしまうこともあります。
      私がまだ若い頃、あるベテラン教師が教えてくれました。「勉強させてしまえば良いのです。勉強が生徒の狭い考えを変えてくれます。」私は今日までそれを信じて教師を続けてきました。

  2. らん より:

    豊太郎も李徴みたいだなあと思いました。

    • 山川 信一 より:

      李徴は、設定としては中国人ですが、中味は日本人ですから。
      森鷗外も中島敦も日本人の真実を描こうとしている点では同じです。

  3. すいわ より:

    そしてベテラン教師の先生は「勉強させてしまえば良いのです。勉強が生徒の狭い考えを変えてくれます。」とバトンを渡して来られたのでしょう。家庭という一番小さな単位の社会から成長に伴ってその社会も広がって、家の価値観が全てではない、と、多様である事を学びの場を通して見つけられる事は幸いです。先生の元で学ばれた生徒さん、羨ましい限りです。私は読書を通してその事に気付かされたように思います。

    • 山川 信一 より:

      教師の仕事は勉強のきっかけを与えるに過ぎません。教師は教師が不要になるために存在しています。
      読書に勝るものはありません。その習慣が身についていれば、教師は不要です。
      すいわさんのように教師が不要になることが理想です。

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