虎となった李徴登場

 翌年、監察御史《かんさつぎょし》、陳郡《ちんぐん》の袁傪《えんさん》という者、勅命を奉じて嶺南《れいなん》に使《つかい》し、途《みち》に商於《しょうお》の地に宿った。次の朝|未《ま》だ暗い中《うち》に出発しようとしたところ、駅吏が言うことに、これから先の道に人喰虎《ひとくいどら》が出る故《ゆえ》、旅人は白昼でなければ、通れない。今はまだ朝が早いから、今少し待たれたが宜《よろ》しいでしょうと。袁傪は、しかし、供廻《ともまわ》りの多勢なのを恃み、駅吏の言葉を斥《しりぞ》けて、出発した。残月の光をたよりに林中の草地を通って行った時、果して一匹の猛虎《もうこ》が叢《くさむら》の中から躍り出た。虎は、あわや袁傪に躍りかかるかと見えたが、忽《たちま》ち身を飜《ひるがえ》して、元の叢に隠れた。叢の中から人間の声で「あぶないところだった」と繰返し呟《つぶや》くのが聞えた。その声に袁傪は聞き憶《おぼ》えがあった。驚懼《きょうく》の中にも、彼は咄嗟《とっさ》に思いあたって、叫んだ。「その声は、我が友、李徴子ではないか?」袁傪は李徴と同年に進士の第に登り、友人の少かった李徴にとっては、最も親しい友であった。温和な袁傪の性格が、峻峭《しゅんしょう》な李徴の性情と衝突しなかったためであろう。

 美鈴の番だ。美鈴ももうすっかり高校生。しっかりしてきた。
 いよいよ事件が始まる。
「じゃあ、純子。前回の問題の答えを言って。」
「李徴になって言いますね。なぜだ?なぜ、世間のヤツらは俺の詩を認めてくれないんだ?この俺がこれほど心血を注いで作っているのに。何がいけないんだ。一体何が!それとも、俺には才能がないのか?いやそんなことはない。俺には才能があるんだ!ただ、世間のヤツらに俺の素晴らしさがわからないだけなんだ。しかし、妻子をこれ以上苦しませるわけにはいかない。一度再就職して、生活を安定させてから、何とかしよう。・・・しかし、何と言う惨めさだ。この俺があんなバカどもの命令を聞かねばならないなんて!こんなことなら、詩人を諦めるべきではなかった。いや、そもそも詩人を目指すべきではなかったのか?こんなはずではなかった。俺の人生とは一体何なんだ?」
「いいねえ。真に迫っている。小説は主人公に感情移入して読むべきだね。じゃあ、今日のところを進めるからね。
 李徴が行方不明になった次の年、監察御史(地方行政の監視官)である陳群の袁傪と言う者が天子の命を受けて嶺南に使いに出て、途中、商於という土地に宿をとった。次の朝、まだ暗いうちに出発しようとしたところ、宿場の役人が言うことに、この先の道に人食い虎が出るので、白昼でない通れない。今はまだ朝が早いから少し待った方がいいと。袁傪は、お供の者が多いので、宿場の役人の言葉に従わないで出発した。夜明けの月の光を頼りにして、林の草地を進んで行った時、案の定、一匹の猛虎が草むらから躍り出た。虎は袁傪にもう少しで躍りかかると見えて、たちまち身を翻して元の草むらに隠れた。すると、草むらの中から人間の声で「危ないところだった」と来る返しつぶやく声が聞こえた。袁傪はその声に聞き覚えがあった。それは、同期の李徴の声だったからだ。李徴にとって、袁傪は最も親しい友だった。温和な袁傪の性格が険しく刺々しい李徴の性情と衝突しなかったからだろう。
「大体こんな意味ね。純子、わかったかな?」
「はい。この辺りからは大分読みやすくなりました。」
「では、皆さん、ここから何か気が付いたことはありませんか?」
「李徴は人食い虎になってしまったんだね。袁傪を食い殺す寸前で、袁傪に気が付いたんだ。」
「少しできすぎているよね。人もいっぱいいたのに、よりによって、何で袁傪を狙ったんだろう?小説は所詮作り事だから仕方ないのかな?たまたまということで・・・。」
「「あぶないところだった」と繰返し呟《つぶや》くってあるけれど、ちょっとわざとらしくない?袁傪に気づいてほしいみたい。」
「虎になった李徴は、襲う前から袁傪だと気づいていた可能性があるね。袁傪に限らず、李徴は知り合いが通りかかるのをずっと待っていたんじゃないかな?何かの目的があって・・・。そんな気がする。」
「「温和な袁傪の性格が険しく刺々しい李徴の性情」とあるけれど、なぜ「性格」と「性情」と書き分けているのかな?」
「「性格」というのは、生まれつきの「性情」を高めたものだからだよ。「人格」「品格」と言う時の「格」と一緒。李徴の場合、「性情」を「性格」にまで高められなかったってことだね。」
「袁傪と李徴のような友達関係って、確かにあるよね。じゃあ、純子に宿題。この小説に於ける袁傪の役割って何かな?次回までに考えてきて。」
 物語が動き出した。人間が虎になるというあり得ない設定だけど、古代の中国ならありそうな気もしてくる。重々しい文体もそうだけど、それが狙いかも?これからどう展開するのかが楽しみになってきた。

コメント

  1. すいわ より:

    李徴が虎に変身してしまった事も尋常ではない事ですが、何より驚くのが友達がいた、という事。袁傪は李徴との再会まで10年近くは経っていたのではないでしょうか、それでもかつての友の声を忘れていない。虎の姿にも関わらず、です。「友」と呼んでいる。袁傪は勅命を受ける程に出世、人格的にも信頼の置ける好人物なのでしょう。理性で李徴であると判断しています。官吏時代も李徴の不平不満に耳を傾けてやっていたであろう姿が想像されます。かたや李徴は自分の感情をコントロール出来ない。手懐ける事の出来ない自分の心が表出して虎の姿になったようでもあります。高いプライド、自分を丸のまま受け止めてくれる袁傪でなければ虎の姿になった自分と気取られる事を良しとは出来なかったのではないでしょうか。

    • 山川 信一 より:

      袁傪は、こういう人物がいてほしいなあと思う読者の願望に沿った人物です。だから、読者はこの理想的な人物に自分を重ねます。それが作者の狙いです。
      この小説には現実にはあり得ないと思われる設定がいくつも出て来ます。袁傪という友人もその一つです。李徴が偶然ここで袁傪に巡り会ったことも、袁傪が李徴だと気づいたことも。
      しかし、それは小説の決まりなのです。嘘を通して真実を語るのが小説です。多和田葉子氏によればそれが「フェイクではなくフィクション」です。
      だから、丁度人形浄瑠璃で黒衣を無視するように読まなくてはなりません。作者がそれを通して伝えたかった何かを摑みましょう。

  2. らん より:

    友達を殺してしまうところだったと気がついて逃げて、叢であぶないところだと繰り返し呟いていたところは、私は李徴がわざとらしいとは思いませんでした。
    まさか友達だったとはと、あまりの偶然に驚いて動揺してしまい、動けなくなってとどまってたのかなと思いました。

    • 山川 信一 より:

      そうですね。少なくとも、李徴はそうとってほしかったでしょうね。
      作者も読者に一度は騙されてほしいのではないでしょうか?

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