すばやく、またたく間に

 下人は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。梯子の口までは、僅に五歩を数えるばかりである。下人は、剥ぎとった檜皮色の着物をわきにかかえて、またたく間に急な梯子を夜の底へかけ下りた。

 春菜先輩の番だ。引剥の場面だね。行動に下人らしさは表れるのかな?
「「すばやく、老婆の着物を剥ぎとった」のはなぜか?」
「下人は初めて悪いことをするので怖くてならない。それで、一気にことを片付けようとしているから。」
「「僅に五歩を数えるばかりである」とあるけど、何が言いたいの?」
「下人があっという間にその場を去って行ったこと。」
「下人はなぜそうしたの?」
「老婆の反応が怖かったから。なんて言われるか、それに耐えられないんだ。」
「「夜の底へかけ下りた」とあるけれど、「夜の底」が持つ表現効果は?」
「外が真っ暗闇であること。それは、底知れない世界を暗示している。」
「つまり、悪の世界ってこと?」
「そうとも言えないな。真っ暗で見通しが利かない世界のことだね。予測不能な世界ってことだね。」
 下人は老婆の着物を剥ぎ取った。それを売っても、大した金にはならないだろう。大して生き延びる足しにはならない。下人にも、それはわかっている。でも、この引剥はしないわけにはいかなかったんだ。なぜなら、ここでできなければ、到底盗人にはなれないことを下人自身知っていたからだ。これから盗人になるためには、大した盗みではなくても、しないわけにはいかなかったんだ。これは下人にとって、本格的に盗人になるためのリハーサルでもあったんだ。

コメント

  1. すいわ より:

    老婆が保証した、そうせねば死んでしまうのだから仕方がない、という下人にとって正当な理由付きで「盗む」という行為のきっかけが必要だったのですね。対象は勿論それを良しとした老婆。納得づくならば恐れることなど無いはずなのに、一刻も早く老婆を遠ざけたい。蹴倒したのも臆病故でしょう。本気で嘲っていたのなら、ざまあみろと振り返って捨て台詞の一つも言いそうなものですが、はなからそんな「勇気」があれば、誰彼構わず盗みがいのあるものを自分で選んで奪っていたでしょう。
    「盗む」舞台の整った老婆での予行演習は済んだ、でも、盗人として生き延びて行く道が開けるかというと盗む事をよしとしてくれる人が現れない以上、盗みを働けない下人、先行きの見えない真っ暗な闇の中を泳ぎ切れるものか。自ら落ちる事すら出来ない下人を闇が待ち構えています。

    • 山川 信一 より:

      「行為のきっかけ」と言うよりは、口実・言い訳でしょう。こんな下人にこの先盗みができる保証は何一つありませんね。
      「自ら落ちる事すら出来ない下人を闇が待ち構えています。」は言い得ています。
      生か死か、極限状況にあっても、開き直って悪になることもできないのが下人です。

  2. らん より:

    下人、ついに盗人になりましたね。
    だけど、これから先も盗人として生きていくかどうか。なんかわかりませんね。
    下人は人目を気にして自分の意見が無さそうだから。
    しょうもない人だと思いますが、でも、私も下人のようなところがあります。私も下人です。

    • 山川 信一 より:

      下人は、日本人の典型です。日本人なら誰しも多かれ少なかれ「下人」です。
      大事なのはそれを自覚し、反省して、自分の行動に生かすことです。
      それをしないと、本当にこの情けない下人になってしまいます。

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