勇気が出ない下人

 どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいる遑(いとま)はない。選んでいれば、築土の下か、道ばたの土の上で、饑死をするばかりである。そうして、この門の上へ持って来て、犬のように棄てられてしまうばかりである。選ばないとすれば――下人の考えは、何度も同じ道を低徊した揚句に、やっとこの局所へ逢着した。しかしこの「すれば」は、いつまでたっても、結局「すれば」であった。下人は、手段を選ばないという事を肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、その後に来る可き「盗人になるよりほかに仕方がない」と云う事を、積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいたのである。

 あたしの番だ。だけど、今回は問題を出すのが少し難しいなあ。
「ちょっと漠然とした質問になるけど、この段落について、何か気づいたことはありませんか?」
「何か理屈っぽい。」
「同じ言葉が繰り返されている。「ばかりである」とか「すれば」とか。」
「そこからどういうことがわかりますか?」
「下人が同じ事を何度も何度も繰り返し考えていること。」
「下人が現状を打開するためにはどうしたらいいのかを理詰めで考えていること。」
「理屈では結論が出ているのに、それを実行する勇気が出ないこと。」
「「積極的に肯定するだけの、勇気」とあるけど、この「、」の打ち方が気になる。なぜこんなところに打ったんでしょうか?」
「「積極的に肯定するだけの」という部分を強調したかったから。」
「と言うことは、勇気には理由がいるってことですか?」
「そうだね。何らかの理由がいる。勇気って、それが無いと出ないんじゃないの?」
「では、そもそも勇気ってどういう精神を言うの?」
「ある目的がある。でも、それを果たすためには何らかの危険がある。でも、その目的を果たすために敢えてその危険を冒そうとする気持ち。」
「では、この場合の目的とは何ですか?」
「生き延びること。」
「なら、勇気が出てもよさそうなものだよね。」
「では、なぜ盗人になることを積極的に肯定できないの?」
「生き延びるためにすることが盗人になることで、それは悪いことだから。」
「なぜ悪いことだと肯定できないの?」
「普通そうでしょ。誰にだって、良心があるから。」
「下人は根っからの悪人じゃないんだね。」
「それはどうかな?じゃあ、良心て何?下人にあるの?あるなら、そう書くんじゃない?」
「なら、悪いことをすれば、人にとがめられるからじゃない。それなら、他人からの非難が怖いからかな。」
「と言うことは、下人は人からの非難を気にするから、勇気が出ないんだね。でも、死ぬか生きるかという、こんな時にでも?」
「自らの理屈だけでは、盗人になることを正当化できないので、勇気が出ないんだ。」
「下人は、開き直れないんだね。自分に自信が無いんじゃない?」
「まだニキビができる若造だからね。」
 今日はみんなに助けれたなあ。みんなの答えから問いが考えられた。なるほど、下人に盗人になることを肯定する勇気が出ないのは、良心が有るからじゃなくて、盗人になることを自らの理屈だけでは正当化できないからなんだ。じゃあ、何があれば勇気が出るんだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    「築土の下か、道ばたの土の上で、饑死をするばかりである。そうして、この門の上へ持って来て、犬のように棄てられてしまうばかりである。」下?上?土壁にもたれ掛かれるだけ築土の下の方がまし?いずれにしても地べたで無惨な死に様を晒さねばならないのか。文の見た目だけでも上下へと揺さぶられて、下人の心の迷いを体感させられている感じがします。果ては犬のように亡者の手招きする羅生門の上に棄てられる、、策を講じなければ文字通り犬死にしなければならない。俺はまだ若いのに。疼く面皰が否応もなしに「生きている」事を思い知らせる。死を目の当たりにしても若い下人には「死」そのものを受け止められない。受け止められないものに対する、究極の選択を自分では引き受けたくないのでしょう。誰かのせいにするのが一番楽。悪に落ちるのは自分のせいでない、災厄という抗い難いものに、ちっぽけな非力な若者の俺が敵うわけがない、と。

    • 山川 信一 より:

      「文の見た目だけでも上下へと揺さぶられて、下人の心の迷いを体感させられている感じがします。」という感じ方、いいですね。
      ニキビは、下人の若さの象徴、生への執着でしょうか?また、下人はなぜ迷うのでしょうか?疑問を持ちながら読んでいきましょう。

  2. らん より:

    ゆらゆらと行ったりきたりしてる下人の心が見えました。
    私だったらどうするかなあ。
    盗人にならないと生き延びられないし、でも、悪いことだし、みんなに非難されるし。
    でも、切羽詰まってますね。4.5日たってるし。
    開き直る勇気をもつか餓死するか、どうでしょうね。

    • 山川 信一 より:

      らんさんのように自分の問題として考えるのはいいことです。下人と個人名を出さないのはそうしてほしいからです。
      それにしても、餓死するかもしれないのに、盗人になる勇気が出ないのは、なぜなんでしょうね。
      意気地がありませんね。

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