ぶったわけ

「でも、わたしたちは、ぶたれてあたりまえの、ひどいことをしでかしたんです。高校二年のクリスマスだったと思いますが、無断で天使園を抜け出して東京へ行ってしまったのです。」
翌朝、上野へ着いた。有楽町や浅草で映画と実演を見て回り、夜行列車で仙台に帰った。そして待っていたのがルロイ修道士の平手打ちだった。「あさっての朝、必ず戻ります。心配しないでください。捜さないでください。」という書き置きを、園長室の壁に貼りつけておいたのだが。
「ルロイ先生は一月間、わたしたちに口をきいてくれませんでした。平手打ちよりこっちのほうがこたえましたよ。」
「そんなこともありましたねえ。あのときの東京見物の費用は、どうやってひねり出したんです。」
「それはあのとき白状しましたが……。」
「わたしは忘れてしまいました。もう一度教えてくれませんか。」
「準備に三か月はかかりました。先生からいただいた純毛の靴下だの、つなぎの下着だのを着ないでとっておき、駅前の闇市で売り払いました。鶏舎から鶏を五、六羽持ち出して、焼き鳥屋に売ったりもしました。」
 ルロイ修道士は 改めて両手の人さし指を交差させ、せわしく打ちつける。ただしあの頃と違って、顔は笑っていた。

「これじゃあ、ぶたれても当然だね。計画的だし、やることがひどすぎる。特に卵を産む鶏を焼き鳥屋に売ったことなんて、許せない行為だわ。みんなが食べる卵をでしょ。だから、ルロイ修道士が大切に育てていたのよ。とんでもないわね。」
「ルロイ修道士の気持ちになったら、これは明らかに裏切り行為だよね。自分の善意が踏みにじられたんだから。一ヶ月でよく許してもらえたよ。追い出されなかったのが不思議なくらい。これが学校だったら、退学処分だね。」
「それでも許したんですね。決して見放すことはなかった。」
「「ルロイ先生は一月間、わたしたちに口をきいてくれませんでした。平手打ちよりこっちのほうがこたえましたよ。」とあるけど、体罰よりもっと効果のある罰があるんだね。そう思うと、やはり体罰はよくないね。」
「作者の井上ひさしは、DV夫だったそうだよ。それで結局離婚したとか。暴力って、結局病気なんじゃないかな。その自戒を込めて書いているのでは?」
「まあ、それはともかく。作家と作品は別物だから、別々に評価しないとね。ルロイ修道士は、自分がぶったわけを今一度確かめたかったのね。」
「「顔は笑っていた。」とあるけど、内心はどう思っていたんだろう?」
「よくもそんな悪いことをしましたね、あなたは仕方の無い子でしたね、なんて思っているんじゃないかな。」
「それと、聞いて少しホッとしたんじゃないかな。ある意味仕方なかったって。ぶったのは本当に悪い子だったからなんだって。ぶったことへの後悔というか、後ろめたさというか、それが少しだけ薄らいだような気がする。」
「キリスト教は元々裁きの宗教ですよね。こういう場合普通許さないと思う。ルロイ修道士は変わっていますね。」
「そうね、ルロイ修道士はこれまでの説明からも、あまり宗教家らしくないわね。むしろ、教育者そのもの。教育者として、自分が許せなかったんじゃないかな?」
 生徒は未熟だから、教師を裏切ることもある。だから、それに耐えるのも教師の仕事なんだね。それにしても、ルロイ修道士は、なんか不思議な人だなあ。どうしてここまで、自分のしたことを気にするんだろう。いくらでも正当化できるのに。

コメント

  1. すいわ より:

    天子園は仙台にある施設だったのですね。そんなに遠くから「わたし」に会いに上野まで出掛けて来ていたとは思いませんでした。用意周到に計画した物見遊山のプチ家出、「書き置きを、、貼りつけておいたのだが。」本人にしてみればちょっとした冒険旅行程度のつもりだったのでしょう。怖いもの知らずの若者に、たった一人、行き先も告げずに出て行かれてルロイ修道士の心配は計り知れません。数々の裏切り行為より、子供を監督する責務を果たし切れなかった事実より、何よりも「わたし」の無事が関心事だった。だから帰ってきた「わたし」の顔を見て我知らず感情が昂り、手のサインを出すこともなく思わず手を上げてしまったのでしょう。冷却期間のひと月、平手打ちしてしまった自分に対しても、沈黙を課したのではないでしょうか。「顔は笑っていた」、「わたし」本人が自身のした事の罪を自覚し受け止めている事がわかったと同時に、今であれば上手く受け止めて処理出来たであろう事案も、当時、自分も若く、ゆとりなく、必死だったことを回想してそれぞれの未熟さを笑ったのかもしれません。

    • 山川 信一 より:

      「有楽町や浅草で映画と実演を見て回り」とあります。単なる物見遊山ではないでしょう。それがどうしても見たかったのです。そうでなければ、これほど周到に計画しません。
      お気づきのことと思いますが、「たった一人」で行ったのではありません。「わたしたち」とありますから。
      平手打ちの前にやはり指言葉で伝えたはずです。「わたし」がちゃんとそのことを覚えているのですから。
      「顔は笑っていた」とあるのは、もう時効ですねといった思いではないでしょうか?

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