一人一人の人間がいる

「日本人は先生に対して、ずいぶんひどいことをしましたね。交換船の中止にしても国際法無視ですし、木づちで指をたたき潰すに至っては、もうなんて言っていいか。申し訳ありません。」
 ルロイ修道士はナイフを皿の上に置いてから、右の人さし指をぴんと立てた。指の先は天井を指してぶるぶる細かく震えている。また思い出した。ルロイ修道士は、「こら。」とか、「よく聞きなさい。」とか言う代わりに、右の人さし指をぴんと立てるのが癖だった。
「総理大臣のようなことを言ってはいけませんよ。だいたい、日本人を代表してものを言ったりするのは傲慢です。それに、日本人とかカナダ人とかアメリカ人といったようなものがあると信じてはなりません。一人一人の人間がいる、それだけのことですから。」
「わかりました。」
 わたしは 右の親指をぴんと立てた。これもルロイ修道士の癖で、彼は、「わかった。」「よし。」「最高だ。」と言う代わりに、右の親指をぴんと立てる。そのことも思い出したのだ。

「指が細かくぶるぶる震えているのは、何を表しているのかな?ここでは単に怒っているようにも読める。でも、本当は身体に異常があることが後でわかる。これは仕掛だね。」
「推理小説の技法で書かれているんだね。読者を騙していく。後でそれをひっくり返す。ここでも、よく読めば、怒っている訳ではないことがわかる。」
「では、ルロイ修道士はなぜこんなふうに戒めたのかな?」
「総理大臣のようなことを言ったからでしょ?」
「つまり、それがどういうことかってことを聞いてるの。」
「偉そうってこと?」
「それもあるけど、「わたし」が日本人という立場で発言したことを戒めているんじゃないかな?だって、それはあの監督官と同じ態度だったから。あの監督官は、日本人として、外国人を管理する人として、個人の思いを離れて、立場で行動した訳でしょ。ルロイ修道士はそれが許せないのよ。だから、同じ態度を取る「わたし」を戒めたの。」
「今のあなたの発言は、あの監督官と同じ姿勢から生まれたものですよって言っているんですね。」
「そうか、集団の中に埋没して、個人の責任から逃れるような言動をしてはいけないって言っているのね。それが時にどんな残酷なことでもさせてしまうから。」
「それにしても、こうした考え方は根が深いな。よほど気をつけていないと出てしまいそう。」
「そう言えば、日系人の強制収容については、1988年にアメリカ大統領が正式に謝罪したわ。「総理大臣のようなことを言ってはなりませんよ。」という言葉は、それを意識したのかな?」
「今日のネットニュースに「米カリフォルニア州議会の下院本会議は2月20日、第2次大戦中に同州など西海岸を中心として約12万人の日系人が強制収容されたことについて、日系人の公民権と自由を守れなかったことを謝罪する決議案を満場一致で可決した。」とあったわ。ある意味で戦争はまだ続いているのね。」
「日本政府は、ルロイ修道士に謝罪すべきだけど、きっとしてないわね。」
「でも、ルロイ修道士はそんなことを求めていないと思うな。強いて言えば、それをした監督官に謝ってほしいと。人間はそれくらい個人個人が自分の行動に責任を持ってほしいと思っているじゃないかな。」
「「わたし」はわかりましただけでなく、右の親指をぴんと立てる。これは、ルロイ修道士の気持ちに合わせたんだね。ここでも、手に焦点を当てている。」
「日本人は~」ってあたしもよく言うなあ。「うちら」という言葉もよく使う。それって、その中に隠れようとしているんだね。もっと自分に責任を持たないといけないなあ。

コメント

  1. すいわ より:

    一人一人の人間がいる、そうなんですね。子供達に教え諭すとき、ルロイ修道士は恫喝するのでなく、指を使ったサインで伝える。大きな体で大きな声を出したら子供は恐怖を感じるでしょう。支配するのでなく、諭す。一言も声を発する事無くても、まだ話せない小さな子供でも、「僕らのサイン」で気持ちを通わせることが出来る。大きい子も小さい子も、日本語も英語も関係なく気持ちの伝わる指での会話。「わたし」はそのサインでルロイ修道士が身をもって示した大切な事を共に思い出したでしょう。きっと指のサインは顔のそばに出した事でしょうから、その時、相対して目と目を合わせ、自ずと個と個によって人間というものは関わっている事を意識させたのではないでしょうか。正体の知れない、顔を持たない集団を隠蓑にして自分から逃げないように。

    • 山川 信一 より:

      ルロイ修道士は、感情的にならないように心掛けてもいたのでしょう。だから、決して怒鳴ることはしなかった。その代わりに、自分の思いを指言葉で知らせたのでしょう。
      そして、その方が子どもに気持ちが伝わるに違いないとも信じていたのでしょう。ただ、子どもが悪いことをした時は体罰も厭わなかった。それは、カトリックの教えにも沿ったものでした。

  2. らん より:

    そうですよね。
    日本人の前にまず一人一人の人間でした。
    ルロイ修道士の言う通りです。
    総理大臣のようなことは言ってはいけないですね。

    • 山川 信一 より:

      私たちは何かを隠れ蓑にして、自分の責任を誤魔化そうとするところがありますね。
      ルロイ修道士はその姿勢を戒めているのでしょう。

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