走れメロス     太宰治       

 メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明メロスは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれた此のシラクスの市にやって来た。メロスには父も、母も無い。女房も無い。十六の、内気な妹と二人暮しだ。この妹は、村の或る律気な一牧人を、近々、花婿として迎える事になっていた。結婚式も間近かなのである。メロスは、それゆえ、花嫁の衣裳やら祝宴の御馳走やらを買いに、はるばる市にやって来たのだ。先ず、その品々を買い集め、それから都の大路をぶらぶら歩いた。メロスには竹馬の友があった。セリヌンティウスである。今は此のシラクスの市で、石工をしている。その友を、これから訪ねてみるつもりなのだ。久しく逢わなかったのだから、訪ねて行くのが楽しみである。

 真登香班長が話し始めた。
「この部分からわかるメロスの人物像、表現の工夫、テーマについて、順に述べるわね。まず、わかることは感情の起伏が激しいってことね。普段はのんびりしているけど、怒る時は激しく怒る。それに正義感が強い。仕事は羊飼いで、十六歳の妹と二人暮らし。妹は結婚間近。昔は十六でも結婚したのね。でも、嫁に行くのではなく、婿を迎えるのよ。花婿は次男坊かなんかなのかな?田舎から、十里というから40㎞ね、それくらい離れたシラクスにやって来た。シラクスはイタリアのシチリア島の都市。そこに竹馬の友つまり幼馴染みがいた。まあ、こんなところかな。次に表現の工夫だけど、「メロスは激怒した。」っていきなり物語を始めているわね。これは読者に「なぜ?」と思わせて先を読ませる工夫よ。そこから、場面設定の説明になっている。順番を逆にしたのね。意外性を狙ったんだと思うわ。他には、一文が短いことがあるわね。だからとても読みやすい。どんどん読み進めてしまう。読者を物語に引き込むための工夫ね。ただ、「邪知暴虐」という難しい言葉も使ってある。これは、アクセントになっているみたい。最後に作品のテーマは、まだよくわからないけれど、ここまでだとメロスの武勇伝って感じかな。読者にそういう期待を持たせていると思うわ。以上、何か質問はある?」
「先輩「未明」って何時頃ですか?十里って、どのくらい掛かるんですか?」と美鈴が質問した。
「語の意味は自分で調べなさいね。「未明」は夜明け前だから、季節にもよるけれど、4時頃かな。十里は、人間の歩く速さは時速4キロと言われているから10時間ぐらい。つまり、この時はもう午後になっているんだね。」と真登香班長が答えた。
「わかりました。」と美鈴。そのくらい調べろよ。でも、そうか、もう午後なんだね。
「メロスはセリヌンティウスと幼馴染みとあるけれど、セリヌンティウスは昔は村で暮らしていたんだろうね。それが石工に弟子入りするためにシラクスの市に来たってところかな。」と若葉先輩が背景を想像して言う。
「メロスは村の一牧人で、内気な妹が律儀な一牧人と結婚する予定になっている。いかにも平凡な幸せがそこにあるって感じね。そこに亀裂が生じることが予想される。小説の始まりとしては上手ね。」とあたし。
 少し生意気な言い方だったかな。でも、美鈴には違いを見せないとね。

コメント

  1. らん より:

    クスッと笑ってしまいました。
    あたしは先輩になったんですね。
    昔は美鈴ちゃんみたいだったのになあ^_^
    真登香先輩は読みが深いですね。
    ふむふむとそうだなあと思いながら読みました。
    こんなふうに考え想像しながら読んでいくと読書はすごく楽しいですね。

    • 山川 信一 より:

      島田美奈子も中学2年生になりました。後輩もできて、少しお姉さんらしくなりました。
      沢渡真登香先輩もすっかり班長が板に付いてきました。この班は良いまとまりがあります。
      らんさんも、このメンバーと一緒に想像しながら読んでいきましょう。

  2. すいわ より:

    班長の考察ひとつひとつに納得ができます。一文の短さのせいでしょうか、情報が整理しやすく、文章なのに映画の絵コンテを見ているような、漫画のコマ割りのような、一文一文が映像化されて目の前に立ち上がってくるような効果を感じます。最初の二つの文で赤と黒がぶつかり合うビジョンが鮮烈に提示され物語に引き込まれます。その一方で早くに両親と死に別れたであろう兄妹の兄としての顔はどこまでも穏やか。最初の劇的印象との差が今後の物語の展開を期待させるものになっているように思います。

    • 山川 信一 より:

      「最初の二つの文で赤と黒がぶつかり合うビジョンが鮮烈に提示され物語に引き込まれます。」とありますが、書き出しの二文から「赤と黒がぶつかり合うビジョン」を感じられたことに驚きました。
      メロスが燃えるような赤、邪知暴虐の王が黒でしょうか。また、ご指摘の通り「激怒」するのと、穏やかな兄の日常とは対照的で物語への期待を持たせますね。

  3. なつはよる より:

    私も、美鈴ちゃんのように「十里」がわかりませんでした。太宰はおそらく、外国のお話に親近感を持たせるために、わざわざ日本的に「十里」と書いてくれたのだと思いますが、今では、40キロのほうが情景を想像しやすくなってしまっています。時の流れを感じます。

    • 山川 信一 より:

      「十里」と書いたのは、文体に関係しているのかもしれません。40キロだと、雰囲気に合わないと感じたのでしょう。
      「一里」は、人が一時間に歩く距離です。「十里」は一日の行程を表しています。ある意味便利な言葉です。
      今からすれば、マラソンの距離ですから、速い人なら2時間少々、遅い人でも5時間もあれば走れます。当時はそんな酔狂なことをする人がいなかったのでしょう。
      太宰は相当な距離として想定したのでしょうね。もっとも舗装道路ではないので、時間はもっと掛かったでしょうけど。

      • なつはよる より:

        私は全然走れないので、いつも、マラソンの人があんなに速く走るのは、神様のようだなあと思って見ています。歩くのなら好きですが、40キロは一日かかります。

        先生もランナーでいらっしゃいますよね。とても尊敬しています。いろいろな作品で、走る人が出てくると、先生がランナーの気持ちなどのお話をしてくださるのを、とても楽しみにしていました。

        メロスの走りは、ランナーの山川先生から見てどうなのか? 太宰の描写はどうなのか? 後半の方でぜひゆっくりと伺いたいです。また質問させていただくと思いますが、よろしくお願いいたします!

        • 山川 信一 より:

          わかりました。また、ご質問やコメントをお待ちしています。
          「信じる」ことについては、持論があります。これについてはいずれ話します。

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