第百二十四段 ~ぼやき~

 昔、男、いかなりけることを思ひけるをりにかよめる、
 思ふこといはでぞただにやみぬべきわれとひとしき人しなければ


 昔、男がどのようなことを思った折であろうか、こう詠んだ、
〈思うことは言わないでそのままやめてしまう方がいい。(言ったところで、わかってくれる)自分と等しい思いの人なんていないのだから。(「人し」の「」は強意の副助詞。)〉
 この思いは誰しもが感じるものだ。人はそれぞれ経験が違うのだから、同じ気持ちにはなれない。しかも、言葉は不自由な表現手段である。思いを十分表すことができない。何も言いたくなくなることもある。
 しかし、だからと言って、言語表現を止める訳にはいかない。それぞれの思いが違うのも、言葉表現に限界があるのも、大前提であり、終着点ではなく、出発点であるからだ。人は、時にはこうしてぼやきながらも、言葉を紡ぐしかないのである。
 物語の構成からすれば、終わりが近いことを暗示する内容になっている。この物語も恐らく真意はわかってもらえないだろうと言うのだろう。ある種の謙遜である。
 加藤楸邨は、この歌にヒントを得て、「鰯雲人に告ぐべきことならず」の句を作ったのだろう。人の思いは変わらない。

コメント

  1. すいわ より:

    「伊勢物語」書き綴ってここまで来て
    「思っている事は心の内に。言葉にしたところで理解されるとは限らないからね(‥‥)」。言葉という極めて不確かなものを頼みにして伝え合う。花の色一つ伝えるのだってもどかしいし、伝わる精度も怪しい。でも、だからこそ、あらゆる表現を尽くして私たちは他者と言葉を交わそうとする。「歌」という凝集し抽出された言葉のエッセンスを披露してきて「理解されるとは限らないからね」と言う筆者。「限らないからね」のあとに隠された(さあ、どうする?)に誘引されて、そんな事あるまい、だからこそと伝えようとした数多の人びと。まんまと筆者の策にはめられましたね。お陰で千年の時を経て私の手にも「伊勢物語」。歌の、言葉の持つ力に確証を得たように思えます。

    • 山川 信一 より:

      本当に作者の巧みな導きには舌を巻きます。どう考えも作者はただ者とは思えません。私が勝手に紀貫之であると決めつけているのもわかってもらえるでしょう。
      『古今和歌集』は勅撰和歌集です。これを用いて、様々なエピソードを連ね、言わば恋愛人生論を縦横無尽に展開してきました。こんなことができるのは貫之しかいません。
      それが最後に来て、この歌ですから。バトンは読者に手渡されました。さあ、どう展開しましょうか?

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