第百十八段 ~葛のような男~

 昔、男、久しく音もせで、「忘るる心もなし、まゐり来む」といへりければ、
 玉かづらはふ木あまたになりぬればたえぬ心のうれしげもなし


 昔、男が、長いこと女を訪ねることもなく、(たよりさえしなかったのに、)「(ご無沙汰していますが、)あなたを忘れる気持ちもありません。近いうちに伺いましょう。」と(ご機嫌取りに)言ってきたので、
〈葛(かずら)が伸びてまとわりついて木が沢山あるように、あなたはお通いになる女性が沢山いるようになってしまったので、私のこと忘れないで思っているというあなたのお心を伺っても。嬉しい感じは少しもございません。〉
玉かづら」は、つる植物の葛を美しく表現した言葉で、男をたとえている。「」は男が通う女たちをたとえている。男は、複数の女のところに通っている。そのため、この女を滅多に訪れない。しかし、手を切るつもりもない。そこで、ごく希にご機嫌を取るように言ってきた。しかし、女はそのことが見え透いているので、嫌みの一つも言ってやることになる。女は都合のいい女ではいたくない。こういう男にははっきりと気持ちを伝えないとわかってもらえない。男をつる植物が木にまとわりついて寄生する様にたとえることで鬱憤を晴らしている。この歌も『古今和歌集』恋四にある。

コメント

  1. すいわ より:

    男、あちらこちらとそれなりに気を遣って(?)疲れないものなのでしょうか。女は女で鬱憤ばらしとは言え、ご丁寧に歌を返す。だから、そんな女を男は見切る事もしないのか?人の心の有り様は葛の根を辿るより難解ですね。

    • 山川 信一 より:

      男の真意がどこにあるのか、男の私にもよくわかりません。これも誠意の一種だと思っているのでしょうか?
      嫌みを言うだけで見限ることもしない女の心理はなおさらに。男と女は理屈通りに割り切れません。

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