第百十七段 ~神をあはれと思わせ~

 昔、帝、住吉に行幸したまひけり。
 われ見ても久しくなりぬ住吉のきしの姫松いくよ経ぬらむ
おほん神、げぎやうしたまひて、
 むつましと君はしら浪みづがきの久しき世よりいはひそめてき


 昔、帝が住吉に行幸なさった。(その時にお供の男が帝の気持ちになって詠んだ、)
〈私が見てからさえも長い時間が経ってしまった。住吉の岸の、昔はかわいらしい姫松であった、この見事な老松はどのくらい永いの世を過ごしてきたのだろう。〉
(その時、歌を聞いた)住吉の神様が姿をお現し(「げぎやう」は〈げんぎゃう(顕形)〉の〈ん〉の無表記。)になられて、
〈私と皇室とが睦まじい仲であるを、帝はご存じないでしょう。しかし、住吉の白い浪の「みづ(水)」ではありませんが、その名を持つ住吉神社の美しい垣根(「みづがき」)のように久しい昔から既に私は皇室に幸多かれとお祝い始めていたのです。〉
 この段には、男という言葉が出てこない。しかし、物語の流れからすれば、前の歌は、天皇ご自身が詠んだ歌ではなく、帝のお気持ちになって男が代わりに詠んだ歌である。「われ見ても久しくなりぬ」とあるのだから、帝はお年を召しているのだろう。「姫松」は〈小さくてかわいらしい松〉を言う。それがどれくらいの世を経て、こんな見事な老松になったのだろうと感嘆している。
 この歌は、詠み人知らずとして『古今和歌集』雑上に載っている。ただし、「住吉」は「住之江」になっている。いずれにしても、見事な老松を讃える歌である。
 すると、その歌に感激した住吉の神が姿を現して歌う。「」は帝を指す。実際は男が詠んだ歌でも、帝が詠んだこととして答えている。「しら浪」は〈知らない〉が掛かっている。「」の縁で「みづ(水)」を出し、「みづがき」につなげる。「みづがき」」は〈瑞垣〉で神社の垣。「みづがきの」は、古い歴史を誇る垣ということで、「久し」の枕詞になっている。皇室の繁栄を願う歌になっている。
『古今和歌集』の仮名序に貫之は次のように書いている。
「力をも入れずして、天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をも、あはれと思はせ、おとこ女の仲をもやはらげ、たけき武士(もののふ)の心をも、慰むるは歌なり。」
 この段は、それにふさわしい話として作ったのだろう。恋で鍛えられた歌の力は、時に神をも感動させるのだ。

コメント

  1. すいわ より:

    能舞台を見ているような気持ちになりました。住吉の神に参詣し、神の社の永きに渡る栄を詠った歌が神の心をも動かし、御前に姿を現す。帝が神の御社の松を愛でる姿を歌にしていますが、松は帝のそのもの、幼い皇子の頃より神の加護を受けここまで立派になられた、いえいえ、天皇家は帝の生まれる前、遥か久しい昔から神に祝福されているのです、と。常盤の松、祝福にあふれています。

    • 山川 信一 より:

      『伊勢物語』はドラマの宝庫ですから、能もここから多くのヒントを得たことでしょう。
      ついに神が登場するとは、驚きですね。こんなところにも『古今和歌集』との繋がりが感じられます。

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