昔、恋しさに来つつかへれど、女に消息をだにえせでよめる、
あしべこぐ棚なし小(を)舟いくそたびゆきかへるらむしる人もなみ
昔、恋しさにたえかねて、女のところに来ては帰ることを繰り返すけれど、女に恋文を贈ることさえ(「だに」)できず詠んだ、
〈芦辺を漕ぐ舷側板(「棚」)の無い小舟ではないけれど、何度も行き帰りしているのだろうか。そのことを人に知らせることもできないで(「なみ」は原因理由にとらない。)。〉
男には、恋心を女に打ち明ける自信が無い。受け入れられる自信が無いのだろう。ただ、こうした空しい行為を繰り返すばかりである。
手紙さえ出せないのだから、これは女に出した歌ではない。自分自身を慰める歌である。「棚なし小舟」は頼りない船の意で、自嘲気味に自分をたとえている。その小舟の不安定さ寄る辺無さは実感なのだろう。こうして思いを言葉にすることで少しは気が楽になるのだろう。
しかし、一歩踏み出さねば、恋は成立しない。恋には、自信と勇気が要る。
コメント
これは共感する人、多そうですね。
「♪名前さえ呼べなくて…振り子細工の心」っていう歌、ありましたね。行きつ戻りつする間にどんどん自分が卑小なものに感じてしまう。小舟は波に心許なく揺られ、葦原はその行く手を阻み、なんとか思いを伝えようとしている姿さえ隠してしまう。でも、こればかりは人任せに出来るものではないし、伝えなくては伝わりませんものね。
誰にでも覚えがありそうな切ない想いですね。村下孝蔵の『初恋』ですか。なるほど、今も昔も変わりませんね。
葦の生えている辺りを漕ぐ舟は葦に隠れてしまいます。この様子は、この時の男を象徴していますね。
この歌を贈ればいいのに、その勇気が出ないのも若さです。
思わず、クスッと笑ってしまいました。
なかなか勇気が出ないのですね。
頼りない小舟がゆらゆらと、何度も行き帰りしている様子が目に浮かびました。
「頑張って」と背中を押してあげたくなりました。
たとえが生きていますね。これは実感なのでしょう。
「恋は命と同じ ただ一つのもの」という歌がありますが、本当に恋するものにとって恋を失うことは死ぬことでもあるのでしょう。
傍から見ると、笑ってしまうことであっても。