第八十八段  ~老い~ 

 昔、いと若きにはあらぬ、これかれ友だちども集まりて、月を見て、それがなかにひとり、  
おほかたは月をもめでじこれぞこのつもれば人の老いとなるもの

 昔、とても若とは言えない者が、あれこれ友だちと集まって、月を見て、その中で一人が、 〈よほどでなければ(「おほかたは」)月を賞美すまい(「めでじ」)。この月こそが積もれば人の老いとなるものだから。〉
 この歌は、『古今和歌集』雑上に業平の歌としてとられている。空の月と年月の月を掛けているところに工夫がある。前段との関連で読めば、これも不遇な者同士の慰め合いやぼやきなのだろう。しかし、老いはどんな人間にも平等に来る。権力を手にしようとしまいと、誰しもが年をとるのだ。権力者へのそういった皮肉も込められている。ならば、どう生きるのが幸せなのかは、自分次第である。

コメント

  1. まさき より:

    初めまして。まさきと申します。山川信一先生の国語教室を拝見して、深い感銘を受けました。そこでリクエストなのですが、源氏物語の蛍の解説をぜひ載せていただきたいと存じます。よかったらお願いします。

    • 山川 信一 より:

      コメントありがとうございます。リクエストもありがとうございます。『源氏物語』との関連は興味深いテーマです。
      紫式部が『伊勢物語』に影響を受けて『源氏物語』を書いたのは明らかですね。『伊勢物語』の余白を想像力で埋めていったのでしょう。
      蛍の巻を含めて、『源氏物語』との関連、『源氏物語』の読みについては、『伊勢物語』を読み終わってから考えてみます。

  2. たなか より:

    はじめまして
    私も高校生に古典を教えてる者です。
    私の知り合いでyoutubeで解説動画を投稿している人がいるのですが、山川先生も大変独創的で興味深い解説を投稿してみてはいかがでしょうか?

    • 山川 信一 より:

      コメントをありがとうございます。高校で教えられていらっしゃるのですね。何かのご参考になれば幸いです。
      学校の授業では、古典教材は単なる紹介程度になりがちです。それを補うものとして、生徒が自学自習に使ってもらえると嬉しいです。よろしければ、お勧めください。
      YouTubeでというご提案、ありがとうございます。ただ今のところ、その余裕がありません。取り敢えず、百二十五段を読み終えるまではこのまま進めます。

  3. すいわ より:

    満ちた月も欠けて行くもの、月を数える事は命の尽きるカウントダウンをするようなものではあるまいか、と。誰にも等しく年はふる。栄華を極めたものも、やがては枯れ朽ちてゆく。そして、、暗闇の新月、また生まれ満ちゆく月。ならば嘆く事もあるまい、変わらぬ己の魂はそこにあるのだから。地位や名誉、そうした後付けの価値を取り去った時に言える事なのでしょう。地(位)に執着する人は、空を仰ぎ見る事もないので別の意味で月に心乱す事もないのでしょうけれど。

    • 山川 信一 より:

      すいわさん、いつも格調の高い鑑賞をありがとうございます。あなたの鑑賞によりさらに作品理解が深まります。
      私はいい緊張を持って明日の執筆に迎えます。

  4. らん より:

    先生、こんばんは。
    短い段ですが深く考えさせられました。
    美しい月を見ることを重ねると老いを重ねることになっちゃうんですね。
    月を見るほど歳をとっちゃうんですかね!(◎_◎;)
    う〜ん、なんだかお月見できなくなっちゃいますね。老けちゃいます。
    先生のおっしゃる通り、老いは皆平等に訪れますね。
    1日24時間は皆同じなのだから、どう生きるかはその人次第です。
    私もいい時間が過ごせるように考えながら生きないと。

    業平さんは政治の表舞台にはいなかったかもしれませんが、いっぱい恋もしてて楽しそうだし、いい仲間もいて、また、歌を作るのもうまくて認められていたし、それはそれで幸せな人生だと思うなあと思いました。
    地位が高いことだけが幸せではないですからね。

    • 山川 信一 より:

      月を見るから老ける訳じゃなくて、月は月日の月に通うからですね。
      作者は、この物語を通して、恋愛に生きることの意味を説いているような気がします。
      最初の仮説は間違っていないようです。

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