第八十七段 ~その二 滝の歌~

 さる滝のかみに、わらうだの大きさして、さしいでたる石あり。その石の上に走りかかる水は、小柑子、栗の大きさにてこぼれ落つ。そこなる人にみな滝の歌よます。かの衛府の督まづよむ、
 わが世をば今日か明日かと待つかひの涙の滝といづれ高けむ
あるじ、次によむ。
 ぬき乱る人こそあるらし白玉のまなくも散るか袖のせばきに
とよめりければ、かたへの人笑ふことにやありけむ、この歌にめでてやみにけり。

 そうした滝の上の方に、藁の円座の敷物(「わらうだ」)の大きさで、差し出た岩がある。その岩の上に走りかかる水は、ミカン(「小柑子」)や栗の大きさでこぼれ落ちる。そこにいる人にみんな滝の歌を詠ませる。あの衛府の長官がまず詠む、
〈私が世に出るのを今日か明日かと待っているけれど、その甲斐もなく流す涙でできる滝とこの布引の滝とどちらが高いのだろうか。〉
この旅の主人役の男が次に詠んだ、
〈白玉を抜きとってばらまく人があるらしい。白玉が絶え間なく散ってくることだなあ。受け止める私の袖が狭いというのに。(お気持ちはよくわかります。でも、私にはどうすることもできません。)〉
と詠んだところ、傍らの人が苦笑する内容であったのだろうか、この歌に感心してやめてしまった。
 滝の様子が具体的に描写されている。それにより、歌が生きてくる。衛府の長官は、美しい滝を見ても、我が身の不遇を思ってしまう。藤原氏の天下であるから、在原氏は政治的に不遇であったのだ。主である男の歌は、それを慰める内容になっている。そのやり取りを聞いている人たちは思わず苦笑するしかなかった。これ以上慰めようがないのである。

コメント

  1. すいわ より:

    あららら、大粒の涙が溢れましたね。男たる者、名を挙げて、と大望を捨てきれないのですね。それでも、共感し添うてくれる同朋が居てくれることの有難さ。これが政治の舞台に立っていたら、友と言う名の「利用価値」と席を並べて足を掬われることないよう、常に緊張と孤独の中に生きて行く事になるのでしょうけれど。男の歌、玉の緒(糸=縁…縁者)を引き抜いて、玉(宝=優秀な人材)を取りこぼしている事だよ、私の器が小さいから、あなたを要職に就ける術もないのだけれど、と聞こえました。

    • 山川 信一 より:

      衛府の督は主の男の兄なのです。言わば兄弟で慰め合っているわけです。その境遇を今更嘆いても始まらないことはわかっているので、周りの人たちも「やれやれ」といった気持ちなのでしょう。
      歌の「玉の緒(糸=縁…縁者)を引き抜いて、玉(宝=優秀な人材)」という解釈は面白いですね。平凡に涙で済ませるよりずっといい。

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