第八十六段 ~若い日の恋~

 昔、いと若き男、若き女をあひいへりけり。おのおの親ありければ、つつみて、いひさしてやみにけり。年ごろ経て、女のもとに、なほ心ざし果たさむとや思ひけむ、男、歌をよみてやれりけり。
 いままでに忘れぬ人は世にもあらじおのがさまざま年の経ぬれば
とてやみにけり。男も女も、あひはなれぬ宮仕へになむいでにける。

 昔、たいそう若い男が若い女と恋仲になった。それぞれ親がいたので、包み隠して、逢うとこも手紙のやり取りも途中で止めてしまった。数年経って、女の元に、やはりかねてからの思い(「心ざし」)を果たそうと思ったのだろうか、男が歌を詠んでやったのだった。
〈年が経っても今まで忘れない人は決して他にはいないでしょう。各人各様に年を経たのでそのことがわかります。(今でもあなたのことを愛しています。)〉
と言っても、止めてしまった。男も女も、離ればなれでない同じ宮仕えの職場に出ていたのだった。
 若い時の恋にはこういう恋もある。初めての恋で夢中になる。しかし、親の目を気にして遠慮するうちに相手のことを忘れてしまう。何となく復縁を求めたいと思っても、本気ではないので、実現しない。言葉だけを取り繕っても、心が伴っていなければいい歌にはならない。この歌も、理屈を述べているに過ぎない。要するに本当の恋ではなかったのだ。
 男には、こんな恋も有ったのだ。物語の構成としては、主人公とおぼしき男に年を取らせるのが少し早過ぎたので、若い頃の話を付け加えているのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    相手をというより、恋に恋する、という感じなのでしょう。親の顔色を伺いつつ、女を、、見ていませんね。そして、そう言えば同じ職場のあの人、昔、付き合っていたかな?ちょっと声かけてみようか?と、お義理で歌を贈られても、心には響きませんね。頭で色々理屈をこねていて、胸のときめきは感じられない。当代一のもて男も、雛鳥のように不器用な恋愛を経ての事なのだよ、恋せよ、諸君!と言ったところでしょうか。
    斎宮の話の後、本当に急に年嵩が一気に増して、構成上、このエピソードを挟んだのだ、との事、若い頃との対比が出来る点で納得しました。

    • 山川 信一 より:

      仮説に従って『伊勢物語』を恋の教科書として読めば、こんな恋を語ることも意味がありますね。こうした恋もして、男は今に至りました。この時点で、もう一度過去を語ることで現在との違いを際立たせようとしたのでしょう。

  2. みのり より:

    情熱が感じられない歌ですね。若いですね。

    先生、宮仕えの仕事は、女の人は結婚したら寿退社ですか。
    キャリアウーマンの人もいるのでしょうか。
    素朴な疑問でした。

    • 山川 信一 より:

      政治的な意味合いから宮仕えの女性は、重要でした。重要な役は藤原氏が独占していたようです。
      結婚は退職の条件ではないでしょう。ケースバイケースです。結婚後、宮仕えに出ることもありました。

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