第七十九段 ~一族の繁栄への期待~

 昔、氏のなかに親王生れたまへりけり。御産屋に、人人歌よみけり。御祖父(おほんおほぢ)がたなりけるおきなのよめる、
 わが門に千ひろあるかげ植ゑつれば夏冬たれかかくれざるべき
これは貞数の親王、時の人、中将の子となむいひける。兄の中納言行平のむすめの腹なり。

 昔、一族の中に親王がお生まれになった。そのご出産祝い(「産屋」)に人々が集まって歌を詠んだ。父方の祖父の血縁であった老人が詠んだ、
〈我が家の門に千ひろ(非常に長いこと)ある影を作る竹を植え付けたので、家の者は誰も、暑い夏でも寒い冬でもその木陰に隠れることができるでしょう。(我が一族一門もこれからは安泰です。)〉
 これは貞数の親王のことで、当時の人は、中将(在原業平)の子と言った。兄の行平中納言の娘がお産みになった御子であった。
 当時は、藤原氏の天下で、在原氏は冷遇されていた。それが、一門から天皇が出ることが期待され、その思いを業平が歌に詠んだのである。しかし、それをよく思わない者たちもいる。それが噂を流して、横やりを刺したのだろう。業平は、親王の母(文子)の叔父である。しかし、業平ならやりかねないとしたのだ。信じる者もいただろう。業平は、せっかく訪れた幸運なのに、肩身が狭かったに違いない。

コメント

  1. すいわ より:

    植えられた植物が竹との事ですが、松ではないのですね。千ひろと書かれているから、赤子の健やかな成長とかけて、高く高く伸びる、成長のはやい、しっかり根の張る、常緑の植物として竹を引いてきているのでしょうか?出産のお祝いの歌にしては、「千ひろある“かげ”」「たれかかくれざるべき」、かげ、かくれ、と何か暗い言葉が歌に詠み込まれていて、これはどうなのでしょう?言葉に乗せて、難を封じているのでしょうか?
    せっかくのお誕生のお祝いなのに、いつの時代にも妬み嫉む人はいるものなのですね。いっぱい持てば持つほど、砂の一粒でさえ他者の手に渡したくないという心理、独占欲という病ですね。

    • 山川 信一 より:

      竹と言うのは、漢の王が竹園を愛したことにちなんで、皇族を竹にたとえるからです。「かげ」と言うのは、「めぐみ」「おかげ」という意味で伝統的に使われています。
      学校の名前に「桐蔭」とか「桜蔭」とはあるのは、それです。ちなみに、「桐」は、東京講師・東京教育大・筑波大のことで、「桜」は、お茶の水女子大のことです。
      妬みは恐ろしいものですね。あらかじめストーリーを作り、スキャンダルを捏造します。いつの時代でもあります。何が事実かを確かめることが大事です。

      • すいわ より:

        皇族を竹にたとえるのですね、かげは恵、お陰、納得しました。松竹梅と並べて吉祥を表しますが、時代的には松は平安、竹は室町以降、梅はもっと下って江戸期と記憶していたので、竹をたとえに引くのは何故なのだろうと思いました。

        • みのり より:

          木陰に入るとは安泰を意味しているのですね。
          かげはおかげ、恵の意味。
          よくわかりました。

          • 山川 信一 より:

            でも、思い通りにはいかなかったようです。
            この歌が他者の耳に入ったことがかえっていけなかったのかもしれません。

        • 山川 信一 より:

          松竹梅という言葉とは、出所が違うようですね。

タイトルとURLをコピーしました