第六十六段 ~恋の息抜き~

 むかし、男、津の国にしる所ありけるに、あにおとと友だちひきゐて、難波の方にいきけり。渚を見れば、船どものあるを見て、
 難波津を今朝こそみつの浦ごとにこれやこの世をうみ渡る船
これをあはれがりて、人々かへりにけり。

 昔、男が摂津国(「津の国」今の大阪府と兵庫県にまたがるあたり。)に領有す
(「しる」)土地があったので、兄弟や友人を引き連れて、難波の方へ行った。渚を見ると、船が何隻もあるのを見て、
〈難波の津を今朝初めて見ました(「みつ」)。その御津(「みつ」〉ごとに、これがまあ、あの(「これやこの」)、この世をつらく思って(「うみ」)過ごすように、海(「うみ」)を渡る船なのか。〉
この歌に(わざわざ行った甲斐があったと)深く感動して、人々は帰ってきた。
みつ」「この」「うみ」と、掛詞を三カ所も使っている。技巧的な歌である。ただ、人々が感心したのは、これが内容的にも優れていたからである。「この世」とは、男女の仲を言っている。恋をするとは、船で大洋に出るようなものだと言う。今はようやく港に帰ってきているのだ。今の自分のようにと。実感のこもったたとえである。
 気心の知れた者同士の旅は、恋の息抜きになる。

コメント

  1. すいわ より:

    気楽な男同士での旅。青い海に白帆を挙げた幾隻もの船、自分たちの旅姿になぞらえたのですね。ぐっと視界が開けて旅の疲れを吹き飛ばしてくれる海風の爽快さ、恋も旅も大いなる冒険。歌わずにはいられなかったのでしょう。同じ時間を過ごし、感覚を共有出来る人たちがいるのは幸いです。

    • 山川 信一 より:

      同性の友だちがいることは、恋をする上でも大事なのですね。そういう心の港があるから、恋という旅に出られるのです。
      同性同士の旅は、大洋を航海する旅とは次元が違うようです。

  2. みのり より:

    恋をするとは、船で大洋に出るようなものなのですね。
    その例えがとてもしっくりきて、なるほどなあと思いました。
    港は友で落ち着く場所なのですね。
    帰る場所があるのは幸せなことですね。

    • 山川 信一 より:

      帰るところがあるから、恋という冒険の旅に出られるのです。
      だから、男は、家族や友だちも大事にしています。

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