第六十一段 ~筑紫の女~

 昔、男、筑紫までいきたりけるに、「これは、色好むといふすき者」と、すだれのうちなる人のいひけるを、聞きて、
 染川を渡らむ人のいかでかは色になるてふことのなからむ
女、返し、
 名にしおはばあだにぞあるべきたはれ島浪のぬれぎぬ着るといふなり

 筑紫(つくし)は、福岡県筑紫郡。今回は西への旅である。
 男がそこまで往ったところ、「これは(有名な)色好みの好き者が来たわ。」と御簾の内にいる人が言ったのを聞いて、
〈染川(筑紫にある川)を渡ろうとする人がどうして色好みになるということがないでしょうか。私が色好みになったのは、染川に染まったからなんですよ。(私が色好みになるのは相手次第なんですよ。つまり、あなたがそうさせているんです。)〉
女が返す。
〈名前を持っていたら(「名にしおはば」)それだけでその名の通りに当てにならない(「あだ」)ことになるはずなのかしら。九州にある「たはれ島」が淫らな行い(「たはれ」)をする島と濡れ衣を着ていると言うそうですよ(「なり」は伝聞)。〉
 男が自分の色ごみを染川(女)のせいにしたので、女は、「あなたは元からそういう人でしょ。誰彼と無く恋を仕掛けるんじゃありませんか?」とやり返すのである。
 地方に住むけれど、なかなか頭のいい女である。大陸や朝鮮が近いからだろう、九州には独自の文化があった。作者はそれを認めているようだ。
 歌の素養からすれば、女も色好みであるらしい。十分脈がある。恋が始まりそうである。

コメント

  1. すいわ より:

    御簾の内から女の方が男に敢えて聞こえるように、「あら、噂の色男が来たわ」と言っているのですものね。明らかに女から仕掛け、まずは一手。間髪入れず、男はその土地の風景を織り込んだ上で女に返す。ひるむ事なく、女も島の名を引き合いに出して対等に渡り合う。なんとも鮮やか。例えに出したのが「島」で、浮(憂)島、浮名の濡れ衣を着せられるなんて心外ね、というニュアンスのように思えます(でも、絶対もてますよね。モテる自覚もあるでしょう)。五十八段の女達とのやりとりとは別格。男は関心を持たずにはいられませんね。

    • 山川 信一 より:

      女の歌は、意味深長ですね。やはり恋は駆け引き。いかようにも取れるように仕掛けます。
      男も女もそのプロセスを楽しんでいるようです。

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