第三十八段 ~友~

 昔、紀の有常がりいきたるに、歩きて遅く来けるに、よみてやりける。
 君により思ひ習ひぬ世の中の人はこれをや恋といふらむ
返し、
 ならはねば世の人ごとになにをかも恋とはいふと問ひしわれしも

 主語が省略されているけれど、当然「」が主語である。「紀の有常」が第十六段以来、再び登場する。男とは、親友同士である。男が有常の家を訪ねたのである。「がり」は〈~のもとへ〉の意。ところが、有常は外出して(「歩きて」)遅く帰ってきたので、歌を詠んで送ってやった。
〈あなたによって思い知りました。世の中の人は、私があなたを待っているときのこの気持ちを「」と言っているのでしょうと。〉
や・・・らむ」は係り結びで、疑問を表す。「らむ」は現在推量の助動詞で、〈~ているだろう〉。
 それに対して、有常はこう返す。
〈私は恋を体験したことがないので(「ならはねば」)、世の中の人ごとに何を恋と言っているのですかと聞いた私なのですよ。(まさか、恋の達人のあなたが私に習うなどと言うとはね。)〉
われしも」も「しも」は強意の副助詞。〈恋の達人のあなたが恋を習ったと言うのは、よりによって恋知らずの私なのですよ。〉という気持ちを表している。
 男は待たされたイライラをユーモラスに解消している。有常もそれに乗ることで、申し訳なかった思いを伝えている。同性の友情のよさを伝えている。たやすくわかり合えるのが同性である。友情は恋に生きる者にとってのオアシスかもしれない。女にとって〈女子会〉が重要であるように、同性の気の置けない友がいてこそ恋に生きられるのである。

コメント

  1. すいわ より:

    度々登場の有常、対照的な二人ですが、だからこそ成り立つ友人関係なのかもしれませんね。戯言じみたお互いの歌も、何処か温かみがあり、信頼の厚さを感じます。さて、この後どんな話題で盛り上がった事やら。紳士のサロンには、はい、踏み込みません。

    • 山川 信一 より:

      恋愛は、それだけにのめり込むものではなさそうですね。同性を含めて、豊かな人間関係を有する者に許される営みなのでしょう。

  2. すいわ より:

    男女を問わず、一個人を評価する時、その本人を見るよりも、その人の友人、その人を取り巻く人を見ると理解しやすいですね。有常を友とする男、良い漢なのでしょう。同性なら世界観が広くて、。

    • 山川 信一 より:

      「恋は盲目」と言いますが、懸命な恋をすべきだということでしょう。恋に身を滅ぼさないように。

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