第三十七段 ~浮気への不安~

 昔、男、色好みなりける女にあへりけり。うしろめたくや思ひけむ、
 われならで下紐解くなあさがほの夕影またぬ花にはありとも
返し、
 ふたりして結びし紐をひとりしてあひ見るまでは解かじとぞ思ふ

色好み」は、〈恋愛の情趣を解する・洗練された恋愛をする〉の意で、褒め言葉である。この女は、理想的な恋愛対象なのである。したがって、モテる。誰しもが目を付ける可能性がある。「あへりけり」は〈交際している。恋愛関係にある。〉の意。それで、男は女が他の男に心を移しはしないか不安に思ったのだろうか、女に歌を贈る。〈うしろめたし〉は〈不安だ。気がかりだ。〉の意。「」は疑問の係助詞。「けむ」は過去推量の助動詞。歌を贈ったのは、歌の出来によって自分の教養のほど、女への思いの深さなどを伝えて、自分こそ女にふさわしい男であることを知らせようとしたのだろう。
下紐」は衣の下に履く袴の紐。これを解くと言うことは、身を任せること。「われならで下紐解くな」は、〈私でなくて(私以外の男に)身を任せてはいけませんよ〉の意。「紐解く」は、花が咲くことをたとえている。その連想から朝顔のたとえが出てくる。〈あなたが朝顔のように朝咲いて、夕日を待たないでしぼんでしまう花のように移ろいやすい心を持っていたとしても。〉
 男は、朝顔にたとえて見事に思いを表現している。女が返す。
〈二人で結んだ下紐を一人で再び逢うまでは解くまいと強く思っていますよ。〉
」で自分の思いを強調している。女は、男の歌が気に入ったようである。素直に思いを述べている。
 不安や嫉妬もこのように優雅に伝えるべきである。ただ、この歌も万葉集の「二人して結びし紐をひとりして我は解きみじただに逢ふまでは」を踏まえている。これも前々段と同じ効果を狙ったものだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    ひと夜を共にし、目覚めた朝、前栽の朝顔を2人で眺めやりながら歌い交わしたのでしょうか。一つ花開き、夕には萎み、また別のところ、別のところと次々と花開いてゆく朝顔。ひと所で咲き続けることのない花。女を朝露に濡れる、美しい儚い花に例えたのですね。隣にいるのに、男にとっては夢か現か、女が幻のように不確かなものに思えたのかもしれません。朝顔の蔓が何かの支えを必要とするように、「貴方だけを頼みにしていますよ」と言われたら、これはもう、夢中になってしまう事でしょう。こんな人、いるのかしら。

    • 山川 信一 より:

      なるほど、朝顔のたとえは、実景を元にしたものなのでしょう。だからこそ、説得力を増したのでしょう。
      そして、それが「下紐」という直接的な物言いを和らげてもいます。
      女はこう歌わずにはいられないでしょう。男は恋の達人です。

  2. らん より:

    想いを歌にするって優雅ですね。
    ストレートな言葉しか知らないから、昔のこんな風な駆け引きみたいなやりとりがとても新鮮に思えます。
    この男は自信家なんですね。教養と深い想いがある自分こそ、あなたにふさわしいんだよと女に伝えたのですね。
    移ろいやすい心を持ってると思われるのは心外だと思うのですが、これほど自分に夢中になられるのもやはり嬉しいかも知れないですね。

    • 山川 信一 より:

      平安時代の貴族の恋愛は、かなり自由だったようですね。男はきっとあっちの女と渡り歩いていた。だから、その間のことが気になる。
      自分はさておき、女は独占したい。こう歌うことで、女心をつかもうとしたのでしょう。
      色好みの女も、取り敢えずこうこたえておいたのかもしれません。女だってしたたかです。
      恋を楽しむってこういうこととも思えます。

  3. くらまる より:

    今と昔では社会形態や科学技術は大きく変化していますが、男女の感情は全く変わらないなと思いました。和歌を見るのは高校以来でしたが、解説が分かりやすく楽しんで読むことができました。

    • 山川 信一 より:

      くらまるさん、コメントありがとうございます。原文の前に対等になれるように授業します。これからも一緒に読んでいきましょう。
      人間の本質的な姿を描いているからこそ、古典なのです。古典は財産です。生かさないのはもったいないです。

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