第二十四段 ~その三 男の歌~

 あづさ弓ま弓つき弓年を経てわがせしがごとうるはしみせよ
といひて、

 男は、男は女の優柔不断さを見逃さなかった。それを自分への愛の弱さと受け取った。歌の意味はこうなる。
〈長年私があなたにしてきたように、今度はあなたがその男に誠実にしなさい。〉
あづさ弓ま弓つき弓」は「」を導く序詞である。「つき弓」の〈つき〉という音が〈月〉を連想させ、それで「」を導いている。ただし、ここはそのことよりも、この序詞が男の気持ちを暗示する表現になっていることが重要である。男は、自分の思いをくどくど述べる代わりに、序詞に込めたのだ。男も歌の力を信じて、それに賭けたのだ。
年をへてわがせしがごとうるはしみせよ」の「うるはしみ」は形容詞〈うるはし〉=〈きちんと整っていて、いい加減なところ、欠けているところなどない様子。〉の名詞形である。〈うるはし〉とは、完璧な美しさを言う。したがって、「うるはしみす」とは、完璧に行動することになる。人に対しての完璧な行動を〈誠実〉と言う。男は自分は年を経て女に対して誠実だったと言いたいのだ。そして、女に今度の男に自分があなたにしたように誠実でありなさいと言っているのである。
 ただし、これは皮肉である。男は自分はずっと女に誠実だった。それなのに女はそうじゃなかったと暗に非難しているのだ。言いたいのは、今度の男に誠実でありなさいの方ではない。言葉の表面上の意味と言いたいことは、ずれるのがむしろ普通である。
 男が「」という言葉を強調している点に注目する。この「」は、女が言う「あらたまのとしの三年」に対抗する表現である。女にあなたが〈長く辛く寂しい〉と思っていたあの三年間、私はあなたに誠実だったと言いたいのだ。男にとって愛は〈うるはしく〉なければならない。だから、自分以外の男になびいた女が許せなかったのである。愛は完璧でなくてはならない。それを女に伝えるために、男は「うるはしみ」という言葉を使っているのだ。
 これを元に序詞に込められた思いを考える。前で「言葉の表面上の意味と言いたいことは、ずれる」と言った。序詞は、その行き着いた表現である。何を意味しているかは想像力を働かせるしかない。弓が三種類出てくる。それぞれの役割は何か。
 まず「あづさ弓」と「ま弓」は、「つき」を出してくるためにある。「」を導くために「つき弓」は必要だから。「ま弓」はつなぎだろう。問題は「あづさ弓」である。「あづさ弓」は〈梓巫女が用いる小さな弓。〉梓巫女は、〈梓弓の弦を打ち鳴らして神霊・生き霊・死霊などを呼び寄せ、自分の身にのりうつらせて託宣をする女。〉つまり、神聖な弓である。
 枕詞としても用いられる。万葉集などにおいては、〈春(張る)、引く、おす〉などを導く。『古今和歌集』には、次の歌が載っている。
 梓弓おしてはるさめけふふりぬあすさへふらばわかなつみてむ
 男は、女の歌の「あらたまの」という枕詞に対抗するために、神聖で重々しい雰囲気を出したかったのだ。さらに、「」という語をたたみかけるように使う。これも、「あらたまの年の」という序詞に対抗するためだ。〈この三年は私にとってあなた以上に辛く厳しいものだった。〉〈私は、あなたに会えず寂しくつらい思いをしてきました。それでも、他の女には目もくれず、あなただけを思って働いてきました。〉そう言いたいのだ。
 男は、ようやく帰ってきたのに、今宵新枕すると言われ、女に裏切られたと思い、怒っている。弓は、〈張る・引く・射る・弦・矢〉などの語を連想させる。それは、男の今の気持ちである。張り詰め、女に向かって矢となって射るばかりになっていると言いたいのだ。
〈女は何で私を信じて待っていてくれなかったんだ〉という憤り。愛する女が別の男のものになってしまう悲しみ。〈こんなことなら宮仕えなどに行かねばよかった〉という後悔。その他にも、言葉にできない思いがあったのだろう。とても言いきることができない。だから、序詞にしたのだ。思いは言葉より広い。しかし、女には男の思いが伝わったはずだ。これが歌の力である。

コメント

  1. らん より:

    愛と憎しみは紙一重ですね。
    男の歌に込められた怒りや憎しみが矢のように刺さってきて痛いです。
    愛しあっていたはずなのに、こうも変わってしまうのですね。
    切ないです。男の悲しい気持ちもわかりますが女の方も悲しいです。
    愛とは許すこと。お互い許し合えるのでしょうか。

    • 山川 信一 より:

      らんさん、コメントをありがとうございます。とても気持ちをこめて読んでくれているのがわかりました。
      男は女を愛するがゆえに許せなかったのですね。愛していなければ、許せたでしょう。どうでもいいのですから。
      愛しつつ許すということができるのでしょうか?とても難しい問題ですね。

  2. すいわ より:

    待つ女の静止した思いに対して、男の待たせる思いは、対象に向かう気持ちが迅る分、より強い思いを感じます。強い思いは女の真円でない(揺らいだ)心を見逃さない。3つの弓が彼女の三年だとすると、どんなに強く弦を引いても、弓は欠けた月の形。満月(真円)にはならない。自分に対する愛も欠いたものだったのではなかろうか。そう思うと自分の彼女に対する愛情も今となっては尽きる(つき弓)というもの、、、
    女は、男のこの思いをどう受け止めるのでしょう。

    • 山川 信一 より:

      男が「あづさ弓ま弓つき弓」と三本の矢を放ったのは、三年に対応しているのですね。それぞれの年に放った矢なのでしょう。
      すいわさん、いつものように深い鑑賞ですね。弓の形が半円で真円でないことを暗示しているとは!納得しました。

タイトルとURLをコピーしました