第二十三段 ~その一 幼なじみの恋~

 昔、ゐなかわたらひしける人の子ども、井のもとにいでて遊びけるを、おとなになりにければ、男も女もはぢかはしてありけれど、男はこの女をこそ得めと思ふ。女はこの男をと思ひつつ、親のあはすれども聞かでなむありける。
 さて、このとなりの男のもとより、かくなむ、
 筒井つの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに
女、返し、
 くらべこしふりわけ髪も肩すぎぬ君ならずしてたれかあぐべき
などいひいひて、つひに本意のごとくあひにけり。

ゐなかわたらひ」の「わたらひ」は、〈わたる(渡る)〉+〈ふ〉(継続の助動詞)。これと同じ語構成の現代語に〈どこにお住まいですか?〉の〈住まい〉がある。この〈い〉は元は〈ひ〉だった。住み続けるという意味を表している。〈恥じらう〉〈語らう〉〈ためらう〉の〈う〉もこの意味。「田舎わたらひしける」は、〈地方を回って生計を立てていた〉の意。もとは貴族だったけれど、今では地方の豪族になった者を言うのだろう。
 その者の子が井戸のもとに出て遊んでいた。それが思春期になって、お互いに恥じらうようになったけれど(「男も女も恥ぢかはしてありけれど」)、男はこの女を妻として手に入れたいと思う。女は、この男を夫にしたいと思い続け、親が別の男と結婚させようとしても、言うことを聞かなかった。
 幼なじみが恋をする。しかし、初めて経験する、その思いに戸惑う。素直になれない。お互いを意識してしまう。それでも、相手と結婚したいと思うのだ。
 さて、ここには二カ所係り結びが使われている。「男はこの女をこそ得め」と「聞かでなむありける」である。「こそ」も「なむ」も文を強調する働きがある。しかし、違いがある。「なむ・・・連体形」がそこで強く切れるのに対して、〈こそ・・・已然形〉は、いったん切れるけれど、以下の文に逆接でつながる。その違いによって、男女の思いの微妙な差を表している。男の方に多少ためらいが感じらる。〈女と結婚したいけど、しかし・・・〉という気持ちである。それに対して、女の方がきっぱりと迷いが無いことを表している。親が他の男と結婚させようとしても言うことを聞かない。(「親のあはすれども、聞かでなむありける。」)恋のシーソーが微妙に女に傾いている。両思いではあるけれど、女の気持ちの方がやや強い。これが後に尾を引く。
 とは言え、まず動いたのは男である。女に歌を贈る。
 昔は筒井の筒を物差しにして比べっこした(「かけし」)僕(「まろ」)の背丈がすっかり井筒をこしてしまったらしいですよ(「すぎにけらしな」)。あなた(「」)に会っていないあいだに。
まろ」も「」も親しみを込めて言う時に使う言葉。「らし」は、推定の助動詞で、何らかの根拠があることを表す。ここでは、その事実の確かさを訴えている。歌の内容は〈あなたと会っていないうちに僕は背が伸びた〉ということ。しかし、それに込められた思いは別にある。自分が大人になったことを伝えているのである。その姿をあなたに見せたい、あなたに逢いたいと言っているのだ。
 その歌を読んで、女が返歌する。
 比べっこしてきた私の振り分け髪(子どもの髪型)も肩を過ぎってしまいました。私も大人になりました。あなたが結婚相手でなくて誰が髪上げ(女の成人式)をしましょう。
 男女が大人になるとは、外見的には、男は女より背が高くなることであり、女は髪が長くなることである。二人ともそれを見事に用いて歌を詠んでいる。
 男が慎重に好意を示しているのに対して、女の歌は大胆な内容になっている。それは男の歌から男の自分への好意を確信したからである。
 こうした歌をやり取りして、互いの気持ちを高め合い、ついに望み通り結ばれたのだった。

コメント

  1. すいわ より:

    井戸端で何をして遊ぶのでしょう。お池ならともかく。生活に直結しているという意味で結婚を暗示しているのでしょうか?
    歌を交わし合ったのは中学生くらいの年頃?だとすると、やはり女の方が男より大人びて、現実的なのも納得できます。係り結びを使う事でこの微妙な男女の温度差を書き分ける辺りが秀逸ですね。それでも告白は男の方から。古事記の時からその方が良い結果を生むと思われて来たのでしょうか。今は女の子の方が積極的なようですけれど。

  2. 山川 信一 より:

    井戸は生活に欠かせないライフラインです。人は自ずからそこに集まります。そして、お付き合いが始まります。初めは、母親の井戸端会議についてきたのでしょう。子どもは何でも利用して遊びます。

  3. らん より:

    先生の授業は本当にわかりやすいです。
    こその下には逆説の文が来るんですね。だから消極的か。。。
    そうなんだと再確認しました。
    2人の微笑ましい姿が目に浮かび、ほっこりしました(^ ^)

    • 山川 信一 より:

      読んでいただいてありがとうございます。これからもわかりやすく書きます。質問があればしてください。
      古文の文法は、解釈に生かすためのものなのです。それ自体独立して覚えても意味ありません。

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