第二十一段 ~その二 寄りは戻らず~

 この女、いと久しくありて、念じわびてにやありけむ、いひおこせたる。
 いまはとて忘るる草のたねをだに人の心にまかせずもがな
返し、
 忘れ草植うとだに聞くものならば思ひけりとはしりもしなまし
またまた、ありしよりけにいひかはして、男、
 忘るらむと思ふ心のうたがひにありしよりけにものぞ悲しき
返し、
 中空にたちゐる雲のあともなく身のはかなくもなりにけるかな
とはいひけれど、おのが世々になりにければ、うとくなりにけり。

 すると、この女はずいぶん経ってから我慢できなくなった(「念じわびて」)のだろうか、言ってよこした。
 もうこれっきり私のことを忘れてしまおうと言って(「いまはとて」)、あなたがせめて(「だに」)忘れ草の種を植えることを心のままに任せないでほしい。(「もがな」は、願望の終助詞。)
〈あなたが私のことを忘れるには、忘れ草の種を植えるしかないはず。そうしないで欲しい。〉虫のいい思いである。女は男が忘れられず、今になってよりを戻したがっている。女はようやく自分のしたことを後悔し始めたようだ。しかし、男は今でも自分を受け入れてくれると思っているようだ。それに対して、男は次のように返す。
 あなたの心に忘れ草を植えたとさえ聞くものならば(なるほどそうことだったのかと私を忘れて出て行ったことが納得がいき)、あなたが私のことをかつて愛していたとは、知りもしたでしょう。(「しりもしなまし」の「」は、完了の助動詞〈ぬ〉の未然形。)
 男は強気に出ている。女が自分の意志で勝手に出て行ったことを非難しているのだ。
 しかし、男にも未練があるだろうか。そこで、またまた、以前よりいっそう(「けに」)語り合うようになり、男は次のように詠む。
 あなたが今も私のことを忘れているだろうという心の疑いによって、あなたが去った当時より、すべてがいっそう不安で悲しく思われます。
その返し。
(そんな風に疑われると)空の中程に湧いてそこにある雲が跡形もなく消えるように、私の身が頼るところがなく心細くなってしまいましたわ。(あなたを愛しているのに。)
「中空にたちゐる雲の」は「あともなく」を導く序詞。
とは言ったけれど、既にそれぞれが別の夫や妻(「おのが世々」)を持っていたので、疎遠になってしまった。
 男女は一度離れると、よりを戻すのは難しい。しでかした事実は消えないからである。歌と言えども、事実の前に無力なこともある。

コメント

  1. すいわ より:

    前回の最後の、男が切々と詠んだ歌は女の手には届いていないのですよね。
    「私が君に贈った髪飾りを、早速に髪に当てて喜んでいる君の様子が今でも瞼の裏から離れないというのに、手を伸べた、そこになぜ君はいないのだろう」こんなに思われているのに。
    「(あなたのせいで私はあなたの元を離れたのよ)ゆめゆめ、私の事、忘れないで頂戴、お願い!」ーー後悔はしていても、あくまでも男のせいなのですね。しかも、この歌を送った時、彼女、独り身ではない。男の立場がありませんね、こんな思わせぶりな歌を送っておきながら、自分は他の男の元に身を置いている。二重に裏切っていますよね。
    お互い思い合いながらも、別々の連れ合いと人生を送っていく事になった2人、エンドロールにマンシーニの「ひまわり」のテーマ曲、流して、、あげられません、私は。

    • 山川 信一 より:

      平安時代の貴族の男女は、現代よりももっと自由に恋愛していたようです。自分の気持ちに素直と言えば素直なのですが・・・。その中でどう自分の思い通りに相手の心を動かすかなのでしょう。「こうあらねばならぬ」という規範には囚われていないようです。

      • すいわ より:

        つい、時代を失念して読んでしまいます。でも、それだけ現代に置き換えても遜色ない男女の機微を捉えている、ということなのですね。
        縦糸と横糸の織りなす極彩色の錦模様、糸の交点の数だけ恋物語を描いてご覧入れましょう、と。それが『伊勢物語』なのですね。参りました。

        • 山川 信一 より:

          私は、『伊勢物語』を普遍的な男女の有様を描いた物語として読んでいます。
          気づかないことも多々あります。お気づきになったら、教えてください。

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