第九段 その五

 その河のほとりにむれゐて、思ひやれば、かぎりなく遠くも来にけるかな、とわびあへるに、渡守、「はや船に乗れ、日も暮れぬ」といふに、乗りて渡らむとするに、みな人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。さるをりしも、白き鳥の、はしとあしと赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ魚(いを)を食ふ。

 その川の畔に群れ座って、これまでの旅路を思いやると、限りなく遠くまで来てしまったなあと思い、改めて旅愁に浸り悲しみ合っている。すると、船頭が無粋にもその気持ちにお構いなく、「早く舟に乗れ、ぐずぐずしているとあんたらの気分だけじゃなくて、日までも暮れてしまうよ。」と言う。(「日も暮れぬ」の「」に注意。)仕方が無くて舟に乗って渡ろうとするが、誰もが悲しくて、京に思う人が無いわけではないのだ。この川を渡れば、また京から離れることになるから。
 ここで特徴的な表現は「わびあへるに」「渡守~というふに」「乗りて渡らむとするに」と「」で文をつないでいくことである。一行の気分とそれにそぐわない渡守の言動の流れをやや間延びした文体で表しているのだ。「なきにしもあらず」は現代でも使う。息の長い表現である。二重否定と「しも」を使った強調表現である。
さるをりしも、白き鳥の、はしとあしと赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。
さるをりしも」と「しも」を繰り返す。京に思う人が無いわけもなく悲しんでいるちょうど折も折という意味で、「しも」を効果的に使っている。「白き鳥の~魚を食ふ」は、この鳥を認めた順に書いてある。目に入ってきた順に書くことで、読み手に臨場感を持たせている。「白き鳥の」は〈白い鳥で〉の意。「」はいわゆる同格の〈の〉である。

コメント

  1. すいわ より:

    やるせない思いのまま、心は留まっているのに、時間は目の前を流れる川のように止まることなく過ぎていく。「に」でつなぐ文体も、滔々とした川のよう。許されぬ恋によって負った痛手が、川の流れに抗って渡ろうとしている事に投影されているようで、渡った先に良い事が待っているように思えません。感傷に浸っている時に、渡し守の不躾な物言いが追い打ちをかけ、さぞ、男は胸の潰れる思いがした事でしょう。失恋のダメージは今も昔も男性の方が大きいようです。

    • 山川 信一 より:

      「失恋のダメージは今も昔も男性の方が大きい」そうなのですか!女性は思いの外強かなのですね。

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