第九段 その二

 その沢のほとりの木のかげにおりゐて、かれいひ食ひけり。その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたり。それを見て、ある人のいはく、「かきつばた、といふ五文字を句のかみにすゑて、旅の心をよめ」といひければ、よめる。
 唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬるたびをしぞ思ふ
とよめりければ、みな人、かれいひの上に涙おとしてほとびにけり。

その沢のほとりの木のかげにおりゐて、かれいひ食ひけり。」水辺で休憩したのである。「かれいひ」は、〈旅行に持ち歩く乾燥した飯〉。それを進化させたのが現代のアルファー米だろう。「かれいひ食ひけり」は、後に出てくる表現の伏線になっている。
その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたり。」「かきつばた」は、菖蒲に似た花。「おもしろく」は〈パッと目を引く・興味を引きつけられる〉の意。
ある人のいはく、『かきつばた、といふ五文字を句のかみにすゑて、旅の心をよめ』といひければ、よめる。
ある人」が男に「かきつばた」を折り句(五七五七七の句の最初の文字にすること)にして旅の心を詠めと言う。一種の旅の気晴らしであろう。
からごろも・つつなれにし・つましあれば・はるばるきぬる・たびをしぞおもふ
 技巧を凝らした歌である。五七五七七の各句の語頭に「かきつばた」を据えて旅の心を詠むのでさえ容易ではなかろうに、要求以上の技巧を凝らしている。歌の技術の見せ所なのだろう。「唐衣きつつ」は「なれ」を導く序詞である。
なれ」は〈慣れる〉と〈萎れる〉(=衣服がよれよれになる)の意が掛かる。「つま」は〈妻〉と〈褄〉(=着物の襟先より下の部分)が掛かる。「はるばる」は〈遙々〉と〈張る張る〉が掛かる。「きぬる」は〈来ぬる〉と〈着ぬる〉が掛かる。「たび」は〈旅〉と〈足袋〉が掛かる。
なれにし」(=慣れてしまった)の「」は完了の助動詞〈ぬ〉の連用形。「」は過去の経験を表す助動詞〈き〉の連体形。「つまし」の「」は、「たびをしぞ思ふ」の「」と共に強意の副助詞。〈し〉の音を繰り返すことで調子をよくしている。
なれ」(萎れ)「つま」(褄)「はるばる」(張る)「」(着)「たび」(足袋)は、すべて着物関係で「唐衣」の縁語。
唐衣」は、十二単のことである。〈唐衣をいつも着てよれよれになる〉と〈唐衣を着ている女性と慣れ親しんだ〉を掛けている。この女性は唐衣を着るような上流階級の女性であることを暗示する。つまり、二条の后を暗示している。男は女がまだ忘れられないのである。それゆえ、遙々やってきたを悲しく思う。京が懐かしくてならないのである。
みな人、かれいひの上に涙おとしてほとびにけり。」ここで前に出てきた「かれいひ」が生かされる。大量の涙で「かれいひ」がふやけてしまったと言うのである。誇張表現である。皆がいかに感動したかを旅の小道具で表している。

コメント

  1. すいわ より:

    これでもかと言うほど技巧が詰め込まれている歌なのに、嫌味がなく、サラサラと水の如くどの人の心にも染み入る、作者の才能に感服せざるを得ない歌ですね。水辺に咲く花、心の揺らめきをうつしているようです。上田敏の「山のあなた」、伊勢物語を頭の片隅で思い浮かべながら訳したのではないかしらと、ふと、思いました。

    • 山川 信一 より:

      技巧と心とが一つになっている歌が理想なのでしょう。貫之の理想が実現された歌と言えそうです。
      私たちもそんな表現を目指したいものです。
      すいわさんの鑑賞には感動します。

  2. すいわ より:

    恐れ入ります
    先生の丁寧な解説があればこそです。
    ありがとうございます。
    ツアーコンダクターが変わると旅の風景も全く異なって見えるもの、「伊勢物語」ツアー、この先も楽しみです。

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