第六段 ~解説の役割~

 これは二条の后の、いとこの女御の御もとに、仕うまつるやうにてゐたまへりけるを、かたちのいとめでたくおはしければ、盗みて負ひていでたりけるを、御兄、堀川の大臣、太郎国経の大納言、まだ下﨟にて、内裏へ参りたまふに、いみじう泣く人あるを聞きつけて、とどめてとりかへしたまうてけり。それをかく鬼とはいふなりけり。まだいと若うて、后のただにおはしける時とかや。

「これは二条の后の」以下は、この物語の元になった事実を解説している。このことは、作者の他に編集者がいたことを示している。ただし、その違いにはこだわらない。
 二条の后はその頃、いとこの女御の元に、お仕えするようにいらっしゃったが、容姿がたいそう美しくいらっしゃったので、男が盗んで背負ってお屋敷から逃げ出したのを、兄でいらっしゃる、堀川の大臣、太郎国経の大納言が、まだ地位が低く、宮中に参上する折に、ひどくなく人がいるのを聞きつけて、引き止めて取り返してしまわれた。それをこのように鬼というのであった。まだたいそう若くて、二条の后がただ人であったときのことでだと言う。
 こんな解説は要らないという見方もできる。しかし、既にあるのだから、解説を含めて一つの作品として捉えたい。この解説は、どんな働きをしているのか。
 これがあることで、第三段~第五段の続きとして読める。つまり、すべて男と二条の后の話として読めるようにしたのだ。第三段で、高貴な女性を見初める。第四段で一度は諦める。第五段でそれでも通い続ける。第六段でとうとう駆け落ちする。これは、典型的な・普遍的な恋のプロセスを示しているのだ。読者は、恋とはどういうものなのかを味わうことができる。

コメント

  1. すいわ より:

    この部分も教科書に載っていた筈ですね、全く覚えていませんでした。『ここは解説だから、まぁ、いいでしょう』と仰って終わった事を思い出しました、、時間の制約がありますから、教室ではその断片を見るに留まるのは仕方がありません。切り取られた断片の額縁の外側が見えるかどうか、、知識の森へ一歩踏み出すかどうか。進んでいれば道も出来たはず、閉ざしたのは自分自身です。
    こんなにも細やかにお教え頂き、物語が何倍にも輝いて見えます。
    ありがとうございます。

    • 山川 信一 より:

      どんな表現にも意味があります。それを丹念に読むことが大切ですね。
      読書でも会話でも。国語の勉強はその訓練です。

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